翻刻
【右頁上段】
○記事
●追吊会
○大海嘯(おほつなみ)横死者追吊|大施餓鬼(おほせがき) 浄土宗(じやうどしう)の末寺(まつじ)なる城南六十ヶ
寺は七月五日午後一時より輪番(りんばん)なる芝三田|臺(だい)町の正泉寺に於(おい)て
三陸大海嘯横死者の追吊(つゐてう)大施餓鬼会を執行(しつかう)し増上寺の名代(みやうだい)天徳
寺の朝日(あさひ)方丈出席して大導師(だいだうし)并に教化を勤(つと)むる由にて当日の布
施金は悉皆(しつかい)災民(さいみん)に義捐(ぎえん)するといふ
○横浜長者町九丁目|常清寺(じやうせいじ)の追吊会 七月三四の両日(りやうじつ)盛(さか)んな
る追吊施餓鬼を執行(しつかう)したりといふ
○海嘯被害見聞録
●宮城県本吉郡
●白浜村
○不思議(ふしぎ)の命拾い 白浜に浪(なみ)の為(た)め妻(つま)と母と一時に神棚(かみだな)に投
上られたるあり一人の孫(まご)下にありて叫(さけ)ぶを「トテも助からぬ是
れまでの約束(やくそく)と諦(あき)らめろ」と引導を渡(わた)し妻と母(はゝ)とは助かりたり
翌日(よくじつ)朝来(あさきた)りて木材を片付けしに何事(なにごと)もなし正午頃に片付けかけ
しに下より「カヽアナア〳〵」と云ふ声あり「オヽ生きて居た
か」と狂気の如(ごと)くなり木材を跳退けて救(すく)ひ出(いだ)せりと(挿図参看)
●志津川町
○飯(めし)ばかりでも喰(くは)せたかつた 志津川(しづかは)の近傍(きんばう)にて小供の死体(したい)
を発見(はつけん)し母親に引渡せしに悔(くや)しきことをしてけりと声(こゑ)を揚げて
泣悲(なきかな)しむに傍(かたへ)の人々慰め問へば海嘯(つなみ)の日は重五の節句(せつく)とて夕餐
の為に種〻(いろ〳〵)の菜(さい)を調(こしら)へしを此子がお腹(なか)が空(へつ)た故|早(はや)くお飯にして
とせがむを今日(けふ)は五月のお祝(いは)ひなれば爺(ぢゞ)と一所にたべる故(ゆゑ)おと
なしく待(まち)て居よと父(ちゝ)の帰りを待(また)せ置く内表の方(かた)の物音にそれ津
浪ぞといふ一声(ひとこゑ)が母子此世の別れにて両人共に浪(なみ)に捲(まか)れ其後は
【右頁下段】
唯(た)だ夢(ゆめ)の如く惜(をし)からぬ我は生存(ながら)へて生先長(おひさきなが)かれと祈(いの)りし子は浅
猿しき姿(すがた)となりけり斯と知りせば彼の夜(よ)喰(た)べたいといふ者を飯
も菜(さい)も沢山に喰(くは)せしものをと泣悲しむ母|親(おや)の恩愛(おんあい)実(げ)に左もあり
なむ
○阿母(おつかあ)起(お)きろ 志津川病院に四歳許りの小兒の右(みぎ)の手(て)に繃帯(ほうたい)
して釣を掛(か)けたるがあり此兒(このこ)に就き最憐(いとあは)れなる談話(だんわ)ありとて主
任医師の語(かた)るを聞くに彼の夜兒の母(はゝ)は海嘯と聞(き)くより兒を背に
負(お)ふて家をば遁(のが)れしが材木にや打(うち)当りけむ兒を負(お)ひし侭|道(みち)に倒
れて息絶(いきたえ)ぬ、或人小兒の泣(なき)声を聞き付け馳来りて此(この)体に驚き介
抱せしも其甲斐(そのかひ)もなし然るに背上(せなか)の小兒は母の死(し)たるを知らず
して母の襟(えり)を確と攫(つか)みて引起(ひきおこ)さんとしお母起きろ寝(ね)てはイヤだ
と泣叫(なきわめ)くに立集ひし人々顔を背(そむ)け涙を流さぬはなかりしと、此
兒も右(みぎ)の二の腕(うで)を挫(きぢ)き居りし故病院に連(つ)れ来りて治療せしに幸
ひ軽快に赴(おもむ)きたり但彼は海嘯の夜(よ)父母共(ふぼとも)に喪(うしな)ひ今は祖母の手に
養はる誠に不幸(ふかう)の者(もの)なりとぞ
●清水浜村
○聞(き)くも悼(いた)はし 志津川町|字(あざ)清水浜の岸辺なる潰(つぶ)れ家の下に
て「おつかあさん起(お)きぬか〳〵〳〵」泣々(なく〳〵)呼(よ)ぶ声の幽(かす)かに聞え
ければ其処を通(とほ)りかゝりし人々は此中(このうち)にも人ありと直(たち)に其屋根
を引(ひき)めくり中(うち)を見(み)れば母は大材に腰部(えうぶ)を挟(はさ)まれ且つ十分水を呑
で死し居(ゐ)たる其背に負はれたる小兒は左腕(さわん)を挫かれつゝも命(いのち)を
全(まった)うして母の死も知らずに呼(よ)び醒(さま)し居たる惨(むご)らしきには誰と
て顏を上(あげ)るものなかりしと此母は三浦(みうら)とみへと云ひ小兒は梅吉
と云ものなり
○死(し)して尚(な)ほ子を抱く 清水浜の佐藤(さとう)ふじ代は当日|非業(ひごう)の死
を遂(と)げたるが其長女千代は死たる母(はゝ)の乳房(ちぶさ)をしやぶり母は死し
ながら之を抱(だ)き居たるを翌朝|堆積(たいせき)したる塵芥(ぢんかい)木材等の中より発(はつ)
【左頁挿絵二枚】
【上題】
志津川にて孝子天助を得るの図
【下題】
小白浜の磯崎冨右衛門氏倉庫を開きて窮民を救ふの図