翻刻
【右頁上段】
〳〵|穴明(あなあ)き血痕(けつこん)点々|喰(くひ)しばりし歯を現(あらは)せる口と右の耳の間の皮
剥げたる有様二目と見られざりしと云ふ
○大谷局長|遭難(さうなん)の実況(じつきやう) 大谷村の郵便電信局長小野寺久蔵氏
の遭難せし実況を聴くに海嘯の襲来(しふらい)せしは十五日|午後(ごゞ)七時なり
しが当日(たうじつ)は旧暦(きうれき)節句(せつく)なるを以て各戸|祝酒(しゆくしゆ)を傾け海嘯襲来の頃に
は酔倒(すゐたう)したるものもあり小野寺局長の如きも充分(じうぶん)酔気を帯(お)び居
りたり其|家族(かぞく)は食事中にて海嘯の来(きた)るべしとは夢想(むさう)だもせざる
ことなれば遠雷(えんらい)の如き響きを聞きて雷ならん抔(など)と評(ひやう)し居たり長
男丈吉の妻(つま)某なるもの台所(だいどころ)の戸を明けしに海水|漫々(まん〳〵)たるより大
声に水(みづ)なりと叫(さけ)びたれば局長は驚きて跳起(はねお)き雨戸(あまど)を開きて逃出
んとしたるも最早(もはや)逃出すべき道(みち)なければ家族のものには自分に
取付(とりつ)けと言ひ付け戸袋(とぶくろ)の柱に取り付きたるに忽ち家屋(かおく)は山の方
に押(お)し流(なが)さるゝと思ふ中又|海中(かいちう)に引き去られたり家族共は何処
へ流されけん行衛(ゆくゑ)知れず局長自身のみ柱(はしら)を抱(いだ)き居たれば遠(とほ)く海
中に引去られたるも再(ふたゝ)び海岸(かいがん)に打揚げられて漸く一命を助(たす)かり
溺死(できし)したる家族は局長の妻、長男丈吉の妻(つま)と孫(まご)二人及び雇女三
人、雇男一人、集配人(しふはいにん)一人にして都合(つがふ)九人なり家族の中にて被
害を免(まぬ)かれたるは目下|発狂(はつきやう)して治療の為め上京中の長男丈吉|及(およ)
び気仙沼に赴(おもむ)き居たる二男某の二人なり局長は柱(はしら)を抱へ居たる
為め助命(じよめい)したるも何物(なにもの)に触(ふ)れたるにや身体に痘痕の如きもの斑
々として全(まつた)き所(ところ)なしと云ふ(挿図参看)
●階上村
○兄弟二|昼夜(ちうや)を経て漂着(へうちやく)す 六月十七日階上村小崎の海辺に
漂着せし潰家(つぶれや)の中に小兒の泣声(なきごえ)聞ゆるにぞ鈴木菊治といへるが
水中に飛入(とびい)り差覗(さしのぞ)けば果して二人の小兒(せうに)あり十二歳になれるが
右手にて梁(はり)に取付き左手(ゆんで)にて六歳なる弟の襟先(えりさき)を掴(つか)み居り右手
を放たば二人共に忽ち底(そこ)の藻屑(もくづ)となるべき尤(いと)も危き際なりしに
【右頁下段】
鈴木は両人(りやうにん)を救取りて救護所に引渡(ひきわた)せりこの兄弟は唐桑村小鯖
浜の漁師(れふし)の悴(せがれ)なりしとぞ
●巌手県気仙郡
●小友村
○屍骸を争(あらそ)ふ 小友村の某(ぼう)三歳の幼兒(おさなご)の屍骸を見出し全身の
泥を洗ひ清(きよ)めて葬らんとせし折(をり)其|隣村(りんそん)の某も屍骸を探(さが)して此に
来り此屍骸を見て是(これ)こそ我子に相違(さうゐ)なければ返(かへ)されたしと述ぶ
るを小友の男は否正(いなまさ)しく我子なり何条(なんでう)おん身に返すべきと争ひ
果(はて)しなかりしとぞ焼野(やけの)の雉子夜の鶴|親(おや)の心の闇なるぞ憫(あは)れ(挿
図参看)
○元寇の記念日(きねんひ) 小友村の小学校|訓導(くんだう)板垣政治氏は海嘯当日
は午前中に二時間の授業(じゆげふ)を為せし後ち生徒(せいと)に向ひて彼北条時宗
が神風(しんふう)飈々の下に十万の元寇(げんかう)を筑紫の海角に殲(つく)して国威を八荒
に輝かせし偉績(ゐせき)は実に今月今日なり左れば諸子(しよし)は皆な此|佳節(かせつ)を
祝(しゆく)すべしと説示(ときしめ)せし焉(いづく)んぞ知らん其夜折角祝杯を挙げんとな
せし際津浪に捲去(まきさ)られて九死一生の災(さい)に遭(あ)はんとは氏|頸部(けいぶ)左眼
下右中指|其他(そのた)数々処に負傷(ふしやう)して療養中なり
○小友村の訓導(くんだう) 上田貞政といへるは盛岡の人にて職務(しょくむ)に勉(べん)
励(れい)せるのみならず殖産(しょくさん)の道に意を注ぎ大日本農会員となり農家(のうか)
一致協会の同盟員(どうめいゐん)となり村民の信用(しんよう)厚かりしに今回の海嘯(つなみ)にて
令閨(れいけい)令嬢緒共に激浪(げきらう)の為に無残(むざん)の死を遂げられたり氏|風雅(ふうが)の嗜
ありて仙洞庵一水と号(がう)し近詠(きんえい)あり「悪き蚊のたゝかれはせず兒(こ)
の寝顔(ねがほ)」の一|句(く)思(おも)ひきや辞世(じせい)となりぬ去廿七日盛なる葬儀(そうぎ)を営
まれりと
○洪波の逆襲(ぎゃくしふ)三回に及ぶ 小友村に黄川英次と云へるあり前(ぜん)
年(ねん)より同郡唐丹村字片岸に飲食店(ゐんしょくてん)を開き傍ら一の関間を往復(わうふく)し
専ら商業に勉強(べんきやう)し居けるが海嘯当日は恰も帰村(きそん)の途次予て懇意
【左頁挿絵二枚】
【上題】
志津川にて小兒死母を抱き起すの図
【下題】
歌津村の某婚礼を行ふ時海嘯に遇ふの図