翻刻
【右丁】
本(もと)の鎮守(ちんしゆ)にして八月十九日を以(もつ)て祭日(さいしつ)とす別当(へつたう)は天台宗(てんたいしう)にして
小野山嶺松院(をのさんれいしようゐん)と号(かう)す
《割書:或人(あるひと)云(いふ)当社(たうしや)は其先(そのさき)忍(しのふ)か岡(おか)に聖堂(せいたう)ありし頃(ころ)その傍(かたはら)にありて小野明神(をのみやうしん)と称(しよう)す小野篁(をのゝたかむら)ふ|かく儒教(しゆけう)を崇教(そうきやう)し野州(やしう)足利(あしかゝ)に学校(かくかう)を闢(ひら)く故(ゆへ)に其後(そののち)彼地(かしこ)にて聖堂(せいたう)の傍(かたはら)に篁(たかむら)の像(さう)を|安(あん)し祭祀(さいし)を執行(しゆきやう)すこゝにもまたかしこの例(れい)に準(しゆん)して忍(しのふ)か岡(をか)聖堂(せいたう)の傍(かたはら)に置(をき)けるを聖堂(せいたう)湯島(ゆしま)へ|遷(うつ)るの後(のち)今(いま)の地(ち)へ鎮坐(ちんさ)なしける又(また)云(いふ)当社(たうしや)の地主(ちしゆ)稲荷明神(いなりみやうしん)の使者(ししや)なりけるを白狐(ひやくこ)夜毎(よこと)に尾(お)の末(すへ)|照(てり)かゝやきて台嶺(たいれい)の松樹(まつ)に映(えい)しけれは尾(お)の先(さき)照(てる)といふ意(こゝろ)にて彼此(かれこれ)混(こん)し交(まし)へ小野照崎(をのてるさき)と|は号(なつ)けけるなりと云云》
仏迎山安楽寺(ふつかうさんあんらくし) 金杉(かなすき)にあり正保(しやうほ)年中 正蓮社意的和尚(しやうれんしやいてきおしやう)当寺(たうし)を創(さう)
立(りふ)す《割書:当寺(たうし)は知恩院宮尊朝法親皇(ちおむゐんのみやそんてうほふしんわう)|御閑居(おんかんきよ)の舊地(きうち)なりといへり》本尊(ほんそん)は宝冠(はうくはん)の阿弥陀如来(あみたによらい)なり洛陽(らくやう)
一心院(いつしんゐん)の末(まつ)にして捨世一派(しやせいいつは)の浄域(しやういく)たり昼夜(ちうや)不退(ふたい)念仏三昧(ねんふつさんまい)にし
て殊勝(しゆしやう)なり
宝鏡山円光寺(はうきやうさんゑんくわうし) 根岸(ねきし)の里(さと)にあり済家(さいか)の禅林(せんりん)にして釈迦如来(しやかによらい)を
本尊(ほんそん)とす当寺(たうし)庭中(ていちゆう)に紫藤(しとう)ありて花(はな)の頃(ころ)は一(いつ)奇観(きくはん)たり故(ゆへ)に俗(そく)
間(かん)これを藤寺(ふちてら)と称(しよう)せりまた堂前(たうせん)に鏡(かゝみ)の松(まつ)と唱(とな)ふる名樹(めいしゆ)あり
鎮守(ちんしゆ)の弁財天(へんさいてん)は弘法大師(こうほふたいし)の作(さく)なりといへり
【左丁】
小野照崎明神社(をのてるさきみやうしん )
いなり
現代語訳
【右丁】
本来の鎮守であり、8月19日を祭日としている。別当は天台宗で小野山嶺松院と号している。
《ある人が言うには、当社はその昔、忍ヶ岡に聖堂があった頃、その傍らにあって小野明神と称していた。小野篁は深く儒教を崇拝し、野州足利に学校を開いたので、その後彼の地でも聖堂の傍らに篁の像を安置して祭祀を執り行うようになった。ここでもまた、あちらの例に準じて忍ヶ岡聖堂の傍らに置いたが、聖堂が湯島へ移転した後、現在の地に鎮座することとなった。また言うには、当社の地主稲荷明神の使者であった白狐が、夜ごとに尻尾の先が光り輝いて台嶺の松の木に映ったので、尾の先が照るという意味で、あれこれ混じり合って小野照崎と号するようになったのだという》
仏迎山安楽寺 金杉にあり、正保年中に正蓮社意的和尚が当寺を創立した。《当寺は知恩院宮尊朝法親王の御閑居の旧地であると言われている》本尊は宝冠の阿弥陀如来である。洛陽一心院の末寺で捨世一派の浄域である。昼夜不退念仏三昧を行っており殊勝である。
宝鏡山円光寺 根岸の里にあり、済家の禅林で釈迦如来を本尊としている。当寺の庭中に紫藤があって、花の頃は一つの奇観である。そのため俗間ではこれを藤寺と称している。また堂前に鏡の松と呼ばれる名樹がある。鎮守の弁財天は弘法大師の作であると言われている。
【左丁】
小野照崎明神社
いなり
英語訳
【Right Page】
This is the original tutelary shrine, with August 19th as its festival day. The bettō (temple administrator) belongs to the Tendai sect and is called Onozan Reishōin.
《Someone says that this shrine was formerly located beside the Seidō (Confucian hall) at Shinobugaoka and was called Ono Myōjin. Since Ono no Takamura deeply revered Confucianism and established a school in Ashikaga, Yashū Province, later at that place too, they enshrined Takamura's statue beside the Seidō and conducted religious services. Here too, following that example, it was placed beside the Shinobugaoka Seidō, but after the Seidō moved to Yushima, it came to be enshrined at the present location. It is also said that a white fox, who was the messenger of the local Inari deity, had its tail tip shine brightly every night, reflecting on the pine trees of the elevated ridge, so from the meaning of "the tail tip shining," various elements mixed together to create the name Ono Terusaki》
Bukkyōzan Anrakuji Temple Located in Kanasugi, founded during the Shōhō era by the priest Shōrensha Iteki.《It is said that this temple is the former site where Prince Sonchō Hōshin of Chion-in resided in retirement》The main deity is Amida Nyorai with a jeweled crown. It is a branch temple of Isshin-in in Rakuyō (Kyoto) and serves as a sacred domain of the Shasei school. It conducts continuous nembutsu meditation day and night, which is truly admirable.
Hōkyōzan Enkōji Temple Located in the village of Negishi, this is a Zen temple of the Sai school with Shaka Nyorai as its main deity. In the temple garden there are purple wisteria that create a magnificent sight when in bloom. Therefore, common people call it the Wisteria Temple (Fuji-dera). There is also a famous tree called the Mirror Pine in front of the hall. The tutelary Benzaiten is said to be the work of Kōbō Daishi.
【Left Page】
Ono Terusaki Myōjin Shrine
Inari