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コレクション: 小倉百人一首

頭書和歌注譯/壽賀多百人一首小倉錦 - 翻刻

頭書和歌注譯/壽賀多百人一首小倉錦 - ページ 20

ページ: 20

翻刻

【右頁中】   藤原興風(ふじはらのおきかぜ) 誰(たれ)をか裳(も) 知(し)る 人(ひと)に せむ 高砂(たかさご)の まつもむかしの 友(とも)ならなくに   【右頁上】 此うたは題(だい)しら ずの哥也心はわが身 としおいてのちはいにしへ よりさま〴〵になれにし人のある ひは此世にながらへたるもつゐ とほざかりあるひはさきだち てとゞまらぬもありいろ〳〵に なりてたゞひとりのこりて今 は朋友(ほういう)の心しりたるもなきと きとなれり只 高(たか)さごの松 こそいにしへより年(とし)尊きもの なれと思ふに【別刷は「に」なし】是も又わがむかしの 友ならねばたれをかしる人に【別刷は「に」なし】し て物語(ものかたり)けんとうちなげきしてい也 【左頁中】   紀貫之(きのつらゆき) 人(ひと)はいざ こころ も 知(し)らず ふるさとは 花(はな)ぞむかしの 香(か)に匂(にほ)ひける 【左頁上】 此哥の心は貫之はつせ【泊瀬】に まふでぬるたびごとにやどりけ る宿坊(しゆくぼう)にひさしくおとづれ せざりければあるじうらみ ける時そこに有あふ梅(うめ)【別刷はルビなし】の花 ををりてかくよめる也いざと は不知(しらず)と書り人はいざわが かはりなき心をもしらず さやうにうらみらるれども 此梅の花ばかりはわが まごゝろをよくしり たると見へてむかし にかはらずよき にほいぞすなると あるじのうらみを うちかへして貫之 又うらみたる 哥なる べし

現代語訳

【右頁中】 藤原興風(ふじわらのおきかぜ) 誰をか 知る 人に せん 高砂の 松も昔の 友ならなくに 【右頁上】 この歌は題知らずの歌である。心は、わが身が年老いた後は、いにしえよりさまざまに馴れ親しんだ人があるいはこの世に長らえているものも次第に遠ざかり、あるいは先立って留まらないものもあり、いろいろになって、ただ一人残って今は朋友の心を知る者もない時となった。ただ高砂の松こそいにしえより年を経た尊いものであると思うが、これもまたわが昔の友ではないので、誰を知る人にして物語をしようかと嘆いた様子である。 【左頁中】 紀貫之(きのつらゆき) 人はいざ 心も 知らず 古里は 花ぞ昔の 香に匂いける 【左頁上】 この歌の心は、貫之は初瀬に参詣するたびごとに宿泊していた宿坊に久しく訪れなかったので、主人が恨んだ時、そこにある藤の梅の花を折ってこのように詠んだのである。「いざ」とは「知らず」と書く。人はさあ、わが変わらない心も知らず、そのように恨まれるけれども、この梅の花ばかりはわが真心をよく知っていると見えて、昔に変わらずよい匂いがするということで、主人の恨みを打ち返して貫之がまた恨んだ歌であるだろう。

英語訳

【Right page center】 Fujiwara no Okikaze Who shall I make my confidant? Even the pine of Takasago is not a friend from the old days 【Right page upper】 This is a poem with an unknown topic. The meaning is: after my body has aged, of the various people I became familiar with since ancient times, some who remain in this world have gradually grown distant, while others have passed away and do not remain—things have changed in various ways, and I am left alone, and now there is no one who knows my heart as a friend. Only the pine of Takasago is something noble that has endured the years since ancient times, I think, but even this is not a friend from my past, so who shall I make my confidant to tell my stories to?—this expresses his lamentation. 【Left page center】 Ki no Tsurayuki People, well, I know not their hearts, but my old village— the flowers still bloom with the same fragrance as of old 【Left page upper】 The meaning of this poem is: Tsurayuki had not visited for a long time the lodging temple where he stayed whenever he made pilgrimages to Hatsuse, so when the host reproached him, he picked a plum blossom that was there and composed this poem. "Iza" is written as "shirazu" (do not know). People, well, do not know my unchanging heart, and though I am reproached in such a way, these plum blossoms alone seem to know my true heart well, and they emit the same good fragrance as in the past—this is probably a poem where Tsurayuki turns back the host's reproach and reproaches him in return. </annotations_ja> 【右頁中】 藤原興風(ふじわらのおきかぜ) 誰をか 知る 人に せん 高砂の 松も昔の 友ならなくに 【右頁上】 この歌は題知らずの歌である。心は、わが身が年老いた後は、いにしえよりさまざまに馴れ親しんだ人があるいはこの世に長らえているものも次第に遠ざかり、あるいは先立って留まらないものもあり、いろいろになって、ただ一人残って今は朋友の心を知る者もない時となった。ただ高砂の松こそいにしえより年を経た尊いものであると思うが、これもまたわが昔の友ではないので、誰を知る人にして物語をしようかと嘆いた様子である。 【左頁中】 紀貫之(きのつらゆき) 人はいざ 心も 知らず 古里は 花ぞ昔の 香に匂いける 【左頁上】 この歌の心は、貫之は初瀬に参詣するたびごとに宿泊していた宿坊に久しく訪れなかったので、主人が恨んだ時、そこにある藤の梅の花を折ってこのように詠んだのである。「いざ」とは「知らず」と書く。人はさあ、わが変わらない心も知らず、そのように恨まれるけれども、この梅の花ばかりはわが真心をよく知っていると見えて、昔に変わらずよい匂いがするということで、主人の恨みを打ち返して貫之がまた恨んだ歌であるだろう。