東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 3

小倉百人一首 - 翻刻

小倉百人一首 - ページ 18

ページ: 18

翻刻

【右丁】       是や此      わかれては あふ     行くも帰るも    しるも  さか               しらぬも    の関 此哥は逢坂の関のほとりに庵室 つくりて住けるに行来の人をみてよめる なり心は京から出て行く人も京へ帰る 人も知人もしらぬ人も此関でわか れては又こゝて出逢事であるそれゆゑ この関の名をかの逢といふこゝろにて あふ坂とつけたものかとよみたる也 逢坂の関は京と大津とのあひだ    蝉 の山にしむかし            丸       ありし関なり 【左丁】 和田の原  八十島   人には告げよ        かけて      蜑の釣舟         こぎ出ぬと 隠岐国へながされ給ひしに難波浦より 舟にのりて出ぬとき京の人によみて つかはされし哥也心は限りもしらずひろ〳〵 とした海をいくらもある嶌々の方へむ けてのり出して起き行たと京もわが家内 の人に告てくれとそこにゐるあまの釣 舟よと也此のあまの釣舟とは此まで 御供して京へ帰る人をさして海辺   参 のことなればそこにある釣舟に取なし  議 てよまれし也難波は今の大坂の津を云   篁 わたの原はひろき海をいふ  

現代語訳

【右丁】 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 この歌は逢坂の関のほとりに庵室を作って住んでいたときに、行き来する人を見て詠んだものである。心は、京から出て行く人も京へ帰る人も、知人も知らない人も、この関で別れてはまたここで出逢うことである。それゆえ、この関の名を、かの「逢う」という心にて「逢坂」と付けたものかと詠んだのである。逢坂の関は京と大津との間の山にあった昔の関である。 蝉丸 【左丁】 和田の原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟 隠岐国へ流され給ったときに、難波浦より舟に乗って出たとき、京の人に詠んで送られた歌である。心は、限りも知らず広々とした海を、いくらもある島々の方へ向けて乗り出して沖へ行ったと、京のわが家族の人に告げてくれよ、そこにいる海人の釣舟よ、ということである。この「海人の釣舟」とは、このまで御供して京へ帰る人を指して、海辺のことなればそこにある釣舟に見立てて詠まれたのである。難波は今の大坂の津を言う。和田の原は広い海を言う。 参議篁

英語訳

【Right Page】 "Is this the place / Where travelers going and returning / Part from each other / Both acquaintances and strangers / At Osaka Barrier" This poem was composed when the poet built a hermitage near Osaka Barrier and watched the people coming and going. The meaning is: people leaving Kyoto and people returning to Kyoto, both acquaintances and strangers, part at this barrier and meet again here. Therefore, he wondered if this barrier was named "Osaka" (Meeting Hill) with the meaning of "meeting" in mind. Osaka Barrier was an ancient checkpoint in the mountains between Kyoto and Otsu. Semimaru 【Left Page】 "Tell the people / That I have rowed out / Across Wada Bay / Toward the eighty islands / O fishermen's boats" This poem was composed and sent to people in Kyoto when he was exiled to Oki Province and departed by boat from Naniwa Bay. The meaning is: tell my family in Kyoto that I have sailed out toward the countless islands across this boundlessly vast sea, O fishermen's boats there. This "fishermen's boats" refers to the people who accompanied him this far and would return to Kyoto, and since it concerns the seashore, he represented them as fishing boats there. Naniwa refers to present-day Osaka Port. Wada-no-hara refers to the wide sea. Councillor Takamura