東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 3

小倉百人一首 - 翻刻

小倉百人一首 - ページ 43

ページ: 43

翻刻

【右丁】      いく野の道の    天の  大江山  とほければまだ   橋立           ふみもせず 小式部は和泉式部が女也母和泉式部は保昌といふ人 にそひて丹後の国に行きてて■ゐられけるころ京にて  小式 哥合ありて小式部もその人数のうちにめしくはへ られければ中納言定頼といふ人大内にて小式部      部 の房に来てさて此たひの哥合のうたはよみ給ひし や母上が京にゐられねば手つだひてもらふことも なるまい丹後に人を人をよはされしか■■■■便にはあ りしかさそ心もとなくおもひ給はんとたわむれに いひて立かへらんとし給ふを引きとめてよまれし哥 なり■■■は母のゆきてゐまする丹後は大江山     内 といふ大きな山やいく野といふひろき道を過て ゆく遠方のことゆゑかのくにへゆきましたわれはまた    侍 一度のふみも見ませぬと也天橋立をふんでみた こともないといふを文も見ぬにかけたる也 【右丁】  古の奈良の都の八重桜  けふ九重に匂ひ ぬるかな 此哥は奈良の八重さくらをある人が          に伊勢大輔御哥          花を題にて                               奈良に 御所      桜もかやうの をえて         にてはやされて色つや             みゆるかなとなり 九重   八重と申す八重ざくらといふ より九重とかけて歌のあやを           おく也