← 前のページ
ページ 171 / 267
次のページ →
翻刻
【右丁】
才文之詳矣於是世人昭々知其爲名山也其文則
載性靈集傳到于今而其碑則歷年遼邈掃也不存
嗚呼廢而不興非人情也近者余鼎樹貞珉刋其文
焉庻乎使臨者讀雄文以審靈境知靈境誠爲進道
之縁矣然則此舉豈曰無所係乎世有髙談浄心蔑
視山水者不亦謬哉因題碑隂聊紀歳月云
寶永二年歳次乙酉春三月
前天台座主一品公辨親王識
沙門勝道歷山水瑩玄珠碑《割書:並》序
蘓巓鷲嶽異人所都達水龍坎靈物斯在所以異人
卜宅所以靈物化産豈徒然乎請試論之夫境隨心
變心垢則境濁心逐境移境閑則心朗心境冥會道
【左丁】
德玄存至如能寂常居以利見妙祥鎮住以接引提
山垂迹孤岸津梁並皆靡不依仁山託智水臺境瑩
磨俯應機水者也有沙門勝道者下野芳賀人也俗
姓若田氏神邈救蟻之齡清惜囊之齒桎枷四民之
生事調飢三諦之滅業厭聚落之轟々仰林泉之皓
然奥有同州補陀洛山葱嶺挿銀漢白峰衝碧落磤
雷腹而鼉吼翔鳳足而羊角魑魅罕通人蹊也絶借
問振古未有攀躋者法師顧義成而興歎仰勇猛以
䇿意遂以去神護景雲元年四月上旬跋上雪㴱巖
峻雲霧雷迷不能上也還住半腹三七日而却還又
天應元年四月上旬更事攀陟亦上不得也二年三
月中奉爲諸神祗冩經圖佛裂裳裹足弃命殉道繈
現代語訳
【右丁】
才文の詳らかなることここに於いてす。是により世人昭々として其の名山たることを知るなり。其の文は則ち性霊集に載せられ今に伝到し、而して其の碑は則ち歴年遼邈にして掃蕩して存せず。嗚呼、廃して興さざるは人情に非ざるなり。近ごろ余、鼎に貞珉を樹て其の文を刻む。庶わくは臨む者をして雄文を読ませ以て霊境を審らかにし、霊境誠に進道の縁たることを知らしめんとす。然れば則ち此の挙、豈に係る所無しと曰わんや。世に高談浄心して山水を蔑視する者有り、亦謬ならずや。因りて碑陰に題して聊か歳月を紀すと云う。
宝永二年歳次乙酉春三月
前天台座主一品公弁親王識
沙門勝道歴山水瑩玄珠碑並序
蘇巓鷲嶽は異人の都する所、達水龍坎は霊物斯に在り。異人の卜宅する所以、霊物の化産する所以、豈に徒然ならんや。請う、試みに之を論ぜん。夫れ境は心に随って変じ、心垢なれば則ち境濁り、心は境を逐って移り、境閑なれば則ち心朗らかなり。心境冥会すれば道
【左丁】
徳玄存す。能寂の常に居して以て利見し、妙祥の鎮住して以て接引するが如き、提山の垂迹、孤岸の津梁、並びに皆な靡れて仁山に依り智水に託せずということ無し。台境瑩磨して俯して機に応ずる者なり。沙門勝道なる者有り、下野芳賀の人なり。俗姓は若田氏、神邈たる救蟻の齢、清惜する囊の歯、四民の生事を桎梏し、三諦の滅業を調飢す。聚落の轟々たるを厭い、林泉の皓然たるを仰ぐ。奥に同州補陀洛山有り、葱嶺銀漢に插し、白峰碧落に衝く。磤雷腹して鼉吼し、翔鳳足して羊角す。魑魅罕に通ぜず、人蹊絶へたり。借問するに振古未だ攀躋する者有らず。法師顧みて義成りて歎を興し、勇猛を仰いで以て意を策す。遂に以て去る。神護景雲元年四月上旬、跋上するに雪深く巌峻しく、雲霧雷のごとく迷って上ること能わず。還って半腹に住すること三七日にして却還す。又天応元年四月上旬、更に攀陟を事とするも、亦上り得ず。二年三月中、諸神祇の為に経を写し仏を図することを奉じ、裳を裂いて足を裹み、命を弃てて道に殉じ、