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コレクション: コレクション3

虎列剌予防民間の心得 - 翻刻

虎列剌予防民間の心得 - ページ 10

ページ: 10

翻刻

【右】    石炭酸(せきたんさん)《割書:一□|》虞里設林(ぐりせりん)《割書:一□|》水《割書:五十|□》   右/先(まづ)石炭酸(せきたんさん)と虞里設林(ぐりせりん)とを混和して後(のち)   に水(みづ)を入(い)れ攪(かき)ませて瓶(かめ)又(または)ビンに入(い)れ貯(たくは)ふ   へし又ぐりせりん無時(なきとき)は焼酎(せうちう)《割書:□|一》を入(いれべ)べし 此(この)石炭酸水(せきたんさんすい)はコレラ病毒(びやうどく)を消滅(けす)する實(じつ)に巧験(きゝめ) ある所(ところ)の良薬(よきくすり)なり 此藥(このくすり)の実地(ぢつち)に良験(きゝめ)を得(へ)ふる証拠(しようこ)は予(はたくし)明治十年(めいぢじうねん) 征討(せいとう)の軍(いくさ)に従(したかう)て九州(きうしう)にあり九月十(くがつじう)月の際(あひだ)軍人(へいたひ) 軍属(ぐんについているひと)のコレラに罹(な)りて死(し)するもの頗(すこぶ)る多(おほ)し此(この) 時(とき)薩摩(さつま)の國障子川(くにしやうじかは)にコレラ病院(びおういん)を設(もう)く平均入(ならしにう) 【左】 院(いん)の病者(びやうにん)百二十人余(ひやくにじうにんよ)にして毎日死亡(まいにちしにうせる)するもの 六人(ろくにん)なり然(しか)して此(この)病院(びやうにん)は元(もと)より蓬菰(とまこも)わらにて 建(たて)たる假(か)り小屋(ごや)にして中央(まんなか)を通路(とうりみち)となし其(その)左(さ) 右(いう)に頭(あた)をならべ寝(いね)ぬれば往来(ゆきゝ)の時(とき)や診察(みやくをみる)の間(あいだ) には左右(さいう)より病者(びやうにん)の嘔吐物(はいたるもの)の唾液(はねかり)を受(う)け前後(まへとうしろ) に患者(びやうにん)の糞尿(たいべんしようべん)を踐む等(なぞ)の汚穢(きたなき)は自(をのづ)から免(まぬ)れ得(ゑ) さる所(ところ)なり此時(このとき)予(わたくし)は泄瀉(はだうくだり)患(わづら)へ毎日(まいにち)三四回(さんよも)つ ゝ下利(くだり)あり其度毎(そのたびごと)に淡紅(うすあか)の血(ち)を混(こん)したる粘液(なわ) を下(く)たせり故(ゆへ)に予(わたくし)は病者(びやうにん)にも親接(ちかつぐ)せる為(た)めに 傳染(うつる)を以(もつ)て死亡(しにうせる)せるならんと思(おも)ひしにコレラ

現代語訳

【右側】    石炭酸(一)、グリセリン(一)、水(五十)   右の配合で、まず石炭酸とグリセリンとを混和してから水を入れ、かき混ぜて瓶または壜に入れて貯蔵すべきである。またグリセリンがない時は焼酎(一)を入れるべきである。 この石炭酸水はコレラ病毒を消滅させる実に効験のある良薬である。 この薬が実地に良い効験を得た証拠は、私が明治十年の征討軍に従って九州にいた時のことである。九月十月の間、軍人・軍属でコレラに罹って死亡する者が頗る多かった。この時、薩摩国障子川にコレラ病院を設け、平均入 【左側】 院患者は百二十人余りで、毎日死亡する者は六人であった。そしてこの病院は元より真菰藁で建てた仮小屋で、中央を通路とし、その左右に頭を並べて寝かせたので、往来の時や診察の間には左右から病者の嘔吐物の飛沫を受け、前後に患者の糞尿を踏む等の汚穢を自然と免れ得ない所であった。この時私は下痢を患い、毎日三四回ずつ下痢があり、その度毎に淡紅色の血を混じた粘液を下した。故に私は病者にも親しく接したために伝染によって死亡するであろうと思ったが、コレラ

英語訳

【Right side】    Carbolic acid (1), Glycerin (1), Water (50)   With the above mixture, first mix the carbolic acid and glycerin together, then add water, stir it, and store it in a jar or bottle. Also, when glycerin is not available, shochu (1) should be added. This carbolic acid water is truly an effective good medicine that eliminates cholera poison. The evidence that this medicine obtained good effects in practice is from when I accompanied the punitive expedition army to Kyushu in the tenth year of Meiji. During September and October, many soldiers and military personnel died from cholera. At this time, a cholera hospital was established at Shojigawa in Satsuma Province, with an average admission 【Left side】 of over 120 patients, with six people dying daily. This hospital was originally a temporary hut built with Manchurian wild rice straw, with a passage in the center and patients lying with their heads lined up on the left and right. During visits and examinations, one inevitably received splashes of patients' vomit from left and right, and stepped on patients' feces and urine in front and behind - such filth could not naturally be avoided. At this time, I suffered from diarrhea, having bowel movements three to four times daily, and each time discharged mucus mixed with light red blood. Therefore, I thought I would die from infection due to close contact with the patients, but cholera