翻刻
勝而帰ル事有間敷ト僉議区々也然ル間 子(年預)ンシヨ方
ノ酒モ不通社務モ下向ニ付乗尻モ下向也仍五日ノ酒
《割書:晩ニ庁屋ニテ|》
十四日ニ通ナリト云々
【雨天草鞋ナカラ着座事】
一 同十七年五月五日大雨左右共御所屋へ着座左ハ東
右ハ西社務へ乗尻ノ礼ハ草鞋ハキナカラ屋へ上リ左右
共ニ礼アリ天文五年ノ例ニマカセテ如此其上往古ノ
例モ有之云々
【落馬即死事】
一 元和八年五月五日六番之左淡路守氏成馬場末ニテ
落馬即死往来田十五年毛可取之訴訟雖有之不叶
惣中ヨリ三石香奠有之《割書:但天正十一年季持之例ト云々》
【神主出仕見合セ之事】
一 寛永六年五月五日乗尻庁屋ヲ出ル之処神主
十楽寺門迄出仕然ル処乗尻廿疋ナカラ通シ其
後神主出仕云々《割書:神主森用久【朱】|》
同日
【歩ニ而禄纏頭事】
左 和泉守保永
三番
右 飛騨守清賢
保永東之埒ハツレニテ落馬夫ヨリ歩ニテ階下江
被付禄纏頭歩ニテ階下江付ル事無 礼(例(朱))云々
【落馬後日死去事】
一 慶安元年五月五日一番右伯耆守時久落馬ニテ
イタミ馬場ヨリ本性ニ不成六日ニ死但馬守将顕モ
朔日ニ落馬ニテ二日ノ夜死去故五日友直代ニ被乗
現代語訳
勝って帰ることはあるまじきと、意見が区々であった。そのため年預の方の酒も通らず、社務も下向したため、乗尻も下向した。よって五日の酒は《割書:夕方に庁屋にて|》十四日に執り行われたという。
【雨天に草鞋のまま着座したこと】
一 同十七年五月五日、大雨のため左右共に御所屋へ着座した。左は東、右は西の社務へ。乗尻の礼は草鞋を履いたまま屋に上がり、左右共に礼があった。天文五年の例に従ってこのように行い、その上往古の例もあったという。
【落馬して即死したこと】
一 元和八年五月五日、六番の左である淡路守氏成が馬場の末で落馬して即死した。往来田十五年の毛を取るべきという訴訟があったが叶わなかった。惣中より三石の香奠があった。《割書:ただし天正十一年季持の例という》
【神主出仕見合わせのこと】
一 寛永六年五月五日、乗尻が庁屋を出るところ、神主が十楽寺門まで出仕した。ところが乗尻二十頭のまま通し、その後神主が出仕したという。《割書:神主森用久【朱】|》
同日
【歩いて禄纏頭のこと】
左 和泉守保永
三番
右 飛騨守清賢
保永は東の埒の外れで落馬し、それより歩いて階下に付けられ、禄纏頭を受けた。歩いて階下に付くことは前例がないという。
【落馬して後日死去したこと】
一 慶安元年五月五日、一番右の伯耆守時久が落馬により負傷し、馬場より本性に戻らず、六日に死去した。但馬守将顕も朔日に落馬により二日の夜に死去したため、五日は友直が代理で乗った。