翻刻
て出家(しゆつけ)し法(ほう)を一宙(いちちう)和尚(おせう)に嗣(つ)ぐ元和(げんな)元年(ぐわんねん)塙(ばん)直之(なほゆき)の為(ため)に大坂(おほさか)
城(ぜう)に屯(たむろ)し死(し)を決(けつ)す東照公(とうせうこう)の容(ゆるし)を得(え)て妙心(めうしん)第(だい)一|座(ざ)となり又(また)
諸方(しょほう)を歴住(れきじう)し寛永(くわんゑい)七|年(ねん)の春(はる)遁(のが)れて熱海(あたみ)に至(いた)り興禪(こうぜん)温泉(おんせん)二
寺(じ)を中興(ちうこう)す同(おな)じく十一|年(ねん)元和(げんな)法皇(はうわう)の勅請(ちょくせい)に応(おう)じ奏対(そうたい)旨(むね)に
愜(かな)ふ十三|年(ねん)仙臺(せんだい)中納言(ちうなごん)政宗(まさむね)の請(せう)に応(おう)じて松島(まつしま)瑞巌寺(ずいがんじ)を中(ちう)
興(こう)す承応(せうおう)三|年(ねん)後光明(ごこうめう)天皇(てんわう)勅(ちょく)して慈光(じこう)不昧(ふまい)禅師(ぜんじ)の號(ごう)を賜(たま)ふ
萬治(まんぢ)二|年(ねん)八月八日|端坐(たんざ)して化(け)す壽(じゅ)八十八|享保(けうほ)十九|年(ねん)六月
時(とく)に勅(ちょく)して大悲(だいひ)圓満(ゑんまん)國師(こくし)と謚(おくりな)し賜(たま)ふ國師(こくし)生涯(せうがい)諸方(しょほう)を巡化(じゅんけ)
し山(やま)を開(ひら)き寺(てら)を興(おこ)すもの総(すべ)て百七十三ヶ|所(しょ)に及(およ)ぶといふ
惜(おし)むべし當寺(とうじ)しばしば火災(くわざい)に罹(かヽ)り開祖(かいそ)及(およ)び中祖(ちうそ)の遺物(ゆいもつ)多(おほ)
く焼亡(せうぼう)す然(しか)れども尚(な)ほ本尊(ほんぞん)十一|面(めん)観音(くわんおん)《割書:長三寸|八分》は藤房(ふじふさ)入道(にうだう)
の護念佛(ごねんぶつ)に係(かヽ)り又(また)雲居(うんご)の法衣(ほうゑ)及(およ)び自賛(じさん)の畫像(ぐわぞう)等(とう)あり支坊(しぼう)
延命庵(ゑんめいあん)。神光庵(しんこうあん)みな僅(わづか)に旧居(きうきょ)を見る《割書:平澤悌侯の記によれば當寺|にも亦た藤房入道手植の松》
《割書:あり大さ牛を蔽ふべしと見ゆ而して今は焼たり又入道遺愛の鞍及び|念珠等も焼け雲居國師手植の松も今は枯たり》
○海蔵寺(かいぞうじ)【朱点】又(また)妙心寺(めうしんじ)末(まつ)にて水口村(みなくちむら)にあり佛徳(ぶつとく)廣通(こうつう)國師(こくし)を
開祖(かいそ)とし悟庵(ごあん)潜溪(せんけい)二|師(し)を中興(ちうこう)とすみな其(その)時代(じだい)を詳(つまびら)かにせ
ず境域(けいいき)潚灑(せうしゃ)遊観(ゆうくわん)するに堪(た)へたり
○醫王寺(いわうじ) 善逝山(ぜんぜいざん)と称(せう)し昔(むかし)は仲町(なかてう)《割書:今樋口忠助の|宅地これなり》にあり明治(めいぢ)
十四|年(ねん)本里(ほんり)の北大久保(きたおほくぼ)の山腹(さんふく)に移(うつ)す旧時(きうじ)は眞言宗(しんごんしう)にして
伊豆山(いづさん)の末寺(まつじ)なり慶長(けいてう)十八年|播楊(はんよう)大教(だいけう)禅師(ぜんじ)物外(もつくわい)和尚(おせう)中興(ちうこう)
し妙心寺(めうしんじ)末(まつ)となる《割書:相模の早雲寺に蔵する北條早雲手記の簿札中に|相州熱海醫王寺云々の悟あり之に依て之を観れ》
《割書:ば此寺當時巳に臨済宗にして早雲寺の末に属せしを知るべく又熱海村|の地嘗て相模に属せしことあるを徴すべしと雖とも今皆其記を得す惜》