翻刻
【右丁】
三ヶ国を領しけれは子孫をのつから此国々に居住す
鎌倉の左馬頭持氏うせ給ひて のち上杉権勢日々に
つよくして関東の諸大名なひきしたかはすといふ事
なし又その家のおとななりしかはこれを上杉か領せし
国々にわかれすむ輝虎か父 長尾信濃守為景にあたつ
て主君越後の上杉 民部太輔 房能と 不快の事出来
て主従の軍起り房能うちまけて当国雨溝といふ所
にてほろふ《割書:民部太輔房能とは上杉の憲房か 室町殿へ此乱の事|注をせし書にみへたり 北条五代記には 上杉九郎》
《割書:房義としるせり|あやまれるにや》管領山内の上杉 民部太輔 顕定入道
可諄息男 憲房と共に 上野国をさつて越後の
【左丁】
国にむかひ為景と戦ひ《割書:永正六年七月|廿八日の事也》為景かけまけて
越中国西浜へ引しりそく 顕定入道父子越後国に
あつて国中の乱をしつめんとす 当国の国人等高梨
摂津守を大将として 為景にくみして管領の下
知にしたかはす永正七年六月十二日憲房推屋といふ
所におしよせ一戦に利を失ひ妻有庄に 引こもりて
軍勢を催し上野の勢を待て戦んとす長尾守梨勝
にのつて妻有の庄におしよす同き六月廿一日顕定入道
軍兵をひきゐ越後と信濃の境なる長森原に出向て
戦ひ高梨かためにかけまけて入道終に討れてけり《割書:此入道|上杉》