伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・下) - 翻刻

藩翰譜(八・下) - ページ 7

ページ: 7

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【右丁】 《割書:中興の管領たり|し五十七歳》子息憲房越後の国にたまりかね上野 国に引返し白井の城にそこもりける此のち為景 越中の国府内の城に 住し越後国をもうちしたかへ て天文十一年加賀国へ発向しかたきのためにあさ むかれ棚【栴ヵ】檀野といふ所にてやみ〳〵とうたれ死にけり 《割書:これは為景一向宗の一族たいらけんとて加賀国にむかふ敵いつはり|て降参して案内し道におとしあな所々にこしらへて為景か》 《割書:軍勢をみちひきゐてこと〳〵くに|おとしいれてこそころせしなり》輝虎入道父為景かうたれし 時としわつかに十四才平三景虎と名のりみつから父か 家をつく明れは天文十二年景虎か姉聟長尾越後守 政景景虎かいとけなきをあなとつてかの所領を併せんと 【左丁】 す景虎其勢二千はかり政景か八千人をうちやふり そのゝち合戦たひ〳〵にて同き十四年政景終に降人 に成て来りしかは《割書:時に景虎十六才|政景廿九才なり》あくれは天文十五年 越後国こと〳〵くなひきしたかひぬさらは父為景かとふ らひ軍あるへしとて越中国にうつていり加賀能登を したかへて佐渡の国へをしわたるかゝる所に十六年八月 信濃の国の住人村上の義清甲斐の武田に滅されて 越後の国におち来り景虎をたのみしかはさらは武田 を追はらつて義清を返し納むとて武田と合戦治れり 又同き廿年の夏の比山内の管領上杉の憲政北条に