東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之12 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之12 - ページ 6

ページ: 6

翻刻

【見開き 絵図】 【右丁】 《振り仮名:山吹の里|やまふき  さと》は《振り仮名:高田の馬塲|たか た   ば ゝ 》 より北の方民家の 辺をいふ昔(むかし)太田持資(おほたもちすけ) 江城にありし頃 一日(あるひ) 此 戸塚(とつか)の金川(かなかは)の辺に 放鷹(はうえう)す急雨(きうう)に遭(あ)ふて 傍(かたはら)の農家(のうか)に入り 簑(みの)をからん事を 乞ふ時に内より 小女出て詞(ことは)はなく 盛(さか)りなる山吹の 花 一枝(  えた)をもて 持資に捧(さゝ)くこは 後拾遺集(こしふゐしふ)に七重(なゝえ) 八重(やえ)花(はな)はさけとも 山吹のみのひとつ たになきそ かなしきと 【左丁】 ある兼明親王(かねあきしんわう) の和哥(わか)により て答(こた)へたるにて  今の其 才(さえ)を   賞(しせう)し世(よ)に    傳(つた)へて     美談(ひたん)と            せり

現代語訳

【見開き図版】 【右丁】 山吹の里は高田の馬場より北の方の民家のあたりを指す。昔、太田持資が江戸城にいた頃、ある日この戸塚の金川のあたりで鷹狩りをしていた。急な雨に遭って、傍らの農家に入り、蓑を借りたいと願った時、家の中から小さな女が出てきて、言葉はなく、盛りの山吹の花一枝をもって持資に差し出した。これは後拾遺集にある「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という 【左丁】 ある兼明親王の和歌によって答えたもので、今もその才知を賞賛し、世に伝えて美談としている。

英語訳

【Double-page illustration】 【Right page】 Yamabuki no Sato (Kerria Rose Village) refers to the area around private houses north of Takada Horse Ground. Long ago, when Ōta Mochisuke was at Edo Castle, one day he was hawking near Kanagawa in Totsuka. Caught in a sudden downpour, he entered a nearby farmhouse and asked to borrow a rain cape. A young woman came out from inside and, without words, offered Mochisuke a single branch of kerria roses in full bloom. This was her answer based on a waka poem by Prince Kaneakira found in the Goshūi-shū: "Though kerria roses bloom in layers seven and eight deep, how sad that not even one bears fruit." 【Left page】 Her wit is still praised today and passed down through generations as a fine tale.