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【右上段】
は。伊集院兼治氏の母にして。名をサダといひ。今年(ことし)六十三歳
の老母なりしが。倒家に押敷(おしし)かれ。哀はれ不帰の客とはなれ
り。負傷者は当村大字上小川池田袈裟八にて。腰部を打たれ余
程|危篤(きとく)の模様(もやう)、本田喜八郎氏の種牡馬一頭を圧死せり。
▲同郡清水村 十四日は天候穏便(てんこうおんびん)なりしかは誰一人として変に
応じるの備(そなへ)をなす者なかりしが。午後九時頃に至りて空模様の
一変すると共に、何となく険悪(けんあく)の兆を顕(あら)はし。十一時過に至りて
は。風力(ふうりよく)も次第に増し来り、雨さへ加はりて凄(すさま)しかりしに。十
五日午前二時頃に至りては。篠衝(しのつ)く雨に暴風を加(くは)へしを以て。
囂々(ごう〴〵)と鳴り渡(わた)り。メリ〳〵と音して家屋の倒るゝ前後幾十回な
るをしらず。全村の潰倒(くわいたう)戸数を挙(あぐ)れば、居宅全倒二百二十戸、
厩物置百十五戸にして、未曽有の大惨状を来たせり。殊に改築
中の姫路小学校も潰倒(くわいたう)して、大工一人は為めに負傷したり。
▲同郡西国分村 被害(ひがい)甚し。同村の全戸数は八百戸内外なる
が、其内(そのうち)全倒三百戸位、小屋|物置(ものおき)四百棟余倒潰し。漁船百五六
十艘の内六分通り破壊し。女一人の圧死(あつし)ありしと。
▲同郡東国分村の風害 今回の暴風(ぼうふう)に国分新川尻新田の堤防(ていぼう)
は、三百間位|破壊(はくわい)せり。随(したがつ)て小村新田の苗青々たる百町歩の
稲田は。俄然|蒼海(さうかい)と一変せり。当村内|農作物(のうさくぶつ)の被害は勿論家屋
の全倒二百四十三戸、半倒二十一戸、厩物置の類百六十余戸潰
倒して。牛馬の圧死あり、当村小村尋常小学校舎も全倒の難に
罹れり。
▲鹿児島郡役所の被害 被害も。並大抵にあらず、四囲の板塀
の如き全く吹き倒されたり。尚ほ郡長室の戸袋一ケ所も破損
し。尾根【屋根の誤りか】瓦も亦風の為めに奪はれたり。
▲同郡吉山村の被害 全村の詳報を得さるも。本城に全倒十一
戸及び避病者一棟。本名に全倒三十五戸、半倒二十三戸、東佐
【右下段】
多郡に全倒三十七戸、半倒十戸ありて、農作物は四分通りの被
害なりと云ふ。本名三百五番戸上野市之進 (七十七)は圧死せ
り。
▲同郡桜島の温泉場 古里は湯壺(ゆつぼ)全く破壊されて跡形(あとかた)なく。湯
場より遥(はる)か上に在る人家の便所(べんじよ)も。波に引去られて失せし程に
て。船着場にも巨石|顚(ころ)げ来り。狼藉(ろうぜき)を極むる為め。舟揖(しう〳〵)【楫の誤りか】の便頓
に絶えて。浴客の用水|欠乏(けつぼう)を告ぐるのみか。入浴も碌(ろく)に出来ざ
るより。帰去(ききよ)の人多しと云ふ。又有村温泉場も同様(どうやう)にて、湯壺
破壊し。人家の流失(りうしつ)したるもあり。黒神の損害も此に譲らず。
尚ほ聞(き)く、西桜島村赤水にては。家屋の破壊(はくわい)百余戸あり。武(たけ)に
ては厩舎共(うまやとも)に八十余個所|倒(たふ)れ。竹之内善之助 (二十一)と云ふが
不幸にも圧死(あつし)されたり。
▲同郡谷山村 高等小学校は近頃(ちかごろ)の新築にて、七月廿一日落成
式を挙行(きよこう)し、構造も頗る宏大(くわうだい)にて。村内唯一の建物なりしが。
校舎の過半を捻(ね)ち切(き)られて倒潰(たうくわい)せり。尋常小学も非常の損害に
て。各|教場(けうじやう)一も用に立つものなし。此の修繕(しうぜん)と高等小学の建増
とにて。一万円余の損害なりと。吏員は長嘆(ちやうたん)大息せり。又同夜
は教員一名、小使一名|宿直(しゆくちよく)をなし居りしが。猛烈なる一陣の
風に流石宏大の校舎も俄然|傾斜(けいしや)せしより。二名は直ちに外へ飛
出でたるが。同時(どうじ)に校舎も倒潰し僅かに死を免(まぬか)れたりと。
▲谷山村役場 左までの損害(そんがい)なし。只屋根瓦を少しく吹剥ぎ垣
を吹倒したるのみ。
▲谷山村警察署 非常(ひじやう)の損害屋根を破壊し。板塀を破壊して。
室内各所に雨(あめ)を漏(も)らし、殆んど見る影(かげ)もなし。
▲谷山村郵便電信局 僅かに屋根瓦を剥(は)ぎし迄にて。其の他に
は差したる被害なし。
▲谷山村家屋の倒壊 同村は全村総戸数四千五百余戸ありし
【左上段】
か今回の暴風に全倒せし家屋は居宅のみにて千二百余戸、半潰
千余戸破損二千三百余其他瓦を吹剥(ふきは)ぎ戸壁(とかべ)を毀(こは)す等の小破損は
其数幾何(そのすういくばく)なるを知らず。
▲同村にて人畜の死傷 圧死者は、男女二十人行衛不明の者一
人、負傷二人、牛馬即死五頭、流失一頭負傷六頭にして、圧死者の
人名は、上福元村高橋市右衛門娘ケサマツ同居日置郡阿多当村
宮崎宮里ケサマツ (《割書:六十|三 》)同吉留権助 (《割書:十 | 四》)下福元七百九十六番戸川
畑栄吉 (《割書:三ケ|月 》)上福元四百五十六番戸長里ケサ (《割書:五十|一 》)同四百八十七番
戸伊地知仲之助 (《割書:七十|ニ 》)下福元七百五番戸米森畩四郎 (《割書:五十|四 》)二女セン
ケサ (《割書:十 | 七》)三男三次郎 (《割書:五 | つ》)上福元二百八十八番戸姓不詳初亀 (《割書:七十|三 》)
娘ケサキク (《割書:五十|三 》)にて他は未だ姓名判明せず。孰(いづ)れも年寄(としより)小供に
て。自宅(じたく)又は逃(に)げ行(ゆ)く途中(とちう)にて。圧(あつ)せられたるものなりと。殊
に和田浜磯崎オト亀 (《割書:六十|八 》)は。生死の程(ほど)も判然せず。
▲同村にて船の破損 判明(はんめい)せし破壊船(はくわいせん)は。大字和田浜に卅四艘
大字平川に四十七|艘(そう)なれども尚其他にもあるべし。
▲堤防の破壊 同村塩屋小字洲崎の堤防百四十二間、東里|堤防(てば)
十九間は、激浪(げきらう)に打たれ悉く破壊(はくわい)されたり。
▲同村清見橋 近来|架設(かせつ)せし石橋(せきゝやう)にて。堅牢のものに見受けら
れしが。海面(かいめん)に添ひたる橋の欄干は悉皆(しつかい)吹倒され。其他下に記
す如く玉里邸の別荘石塀(べつそういしへい)も破壊(はくわい)せられたり。以て如何に同地方
の風力が猛烈なりしかを知るに足れり。
▲同村作物の被害 田稲(たいね)は早稲(わせ)の出穂(しゆつすい)せしは非常の損害なれ
ど。遅稲(おそいね)は左程の損害にもあらざれば。三分通の損害と見て可
なり。煙草作(たばこさく)八分通り。粟(あは)八分通り野稲(のいね)に於て五分通の損害な
りと云へり。
▲玉里邸の被害 同邸は東西の両門倒潰せると。邸内の老松三
本吹き倒され。及び兵営(へいえい)に面したる石垣の七八間|崩壊(ばうくわい)したる迄
【左下段】
にて。他には左程(さほど)の損害(そんがい)はなく。屋根瓦(やねかわら)を少しく剥ぎ取られしの
みなりと。
▲揖宿郡今和泉村 倒家(とうか)百二三十戸、圧死二人船の流失四艘な
りと云ふ。
▲同郡指宿村 倒家五十戸、圧死一人|家畜死傷(かちくしせう)三、農作物は水(すゐ)
稲(とう)二歩、粟四歩、陸稲(りくとう)五歩、煙草(たばこ)は非常の損害にて同村のみに
て四万円以上の損害なりと云ふ。
▲同郡山川村 被害(ひがい)は甚しく。役場所在地福元の分にて、倒家
二十七戸、船の破壊(はくわい)したる者|六艘(そう)、岡兒(をかちよ)ケ水海岸(みづかいがん)に大島船一艘
難破し。 乗組員一人行衛不明となれり。
▲同郡頴娃村の被害 全村戸数四千二百十五の内家屋全倒数一
千百八十二、半倒数三百六十九、破損数千二百二十、厩屋及ひ
小屋全倒数六百七十六、半倒二百六十二、破損数五百三十に及
べり、又圧死人数四名、負傷人数四名、家畜圧死十四頭、同負
傷六頭にして、作物の被害は煙草七分、甘藷五分、粟八分、水
稲三分、陸稲六分の割合なり、海浜は海嘯のために、損害甚だ
しと。
▲同郡喜入村暴風の模様 当日は東南風吹き渡り。夕景に及ひ
て稍々(やゝ)吹き募(つの)りしも。雲脚遅(くもあしおそ)かりしを以て。大荒とならんとは
全く予想外(よそうぐわい)にて。其損害の程も亦非常(またひぜう)なりき。左れは午後九時
過まては左まてのこともなく。早寝(はやね)の人は既に夢(ゆめ)を結(むす)びしもあ
りしならんが。其東風に変じて十一時前後となるや。雨戸響(あまどひび)き
木梢鳴り。茲に愈々|暴風(ぼうふう)となりて。人々|警戒(けいかい)の必要を覚りしも
時既に遅く。雨は礫を投ぐるが如く。瓦(かはら)飛び木倒れて。面(おもて)を向
くべき様もなし。其来る時はヒユーと響(ひゞ)きて奮龍(ふんりう)の嘯(うそぶ)くが如く
当る者を突き倒(たほ)し。其去るときは轟々(がう〳〵)と鳴(な)りて。猛虎(もうこ)の怒号(どごう)する
が如く。触るゝ者を攫み去れり。十二時過ぎに及ひて。東北の天