能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 55

ページ: 55

翻刻

余あり行は小田川村とて有中居へ行本道武連越と いふは此村中ゟ山手へ登る也鵜川と武連村迄壱里 三十三丁本馬九十三文軽尻五十弐文人足廿六文武連ゟ 川尻村へ壱里廿町本馬七拾四文軽尻四十四文人足廿 弐文也道難所也是ゟ甲村出中居へ行道を爰に 記す尤武連村は山田の郷の内也往来は北の方よそ吉ヶ池 とて昔蛇の住しとて恐敷池有又武連の二子山とて あり名山にて絶頂弐ツに別れ留との山のことく也 高山にてもなくといへ共国中ゟ見ゆる山也此南の 鹿下に永願寺とて古寺ありし也今は本名のみ有むかし 甲村に堀河の何某とて京都公卿の兵乱のかれ来り 給へるか其兄弟の亡骸を此山に葬しといへり又此散村に一ノ 家とは所有昔一ッ家にて有しに甲の城主 平(タイラカ)右衛門の 督といひし人軍に打ちなされ壱人此一ッ家に来て身 忍はんと頼しにあるし情なき者にて右衛門督を言 ひ甲斐なしと生害す其跡とて四五間四方に今草 生せす今拾軒斗家数有殺害ありし所を氏神と して小社あり太刀環等近頃迄有しといへり