能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 58

ページ: 58

翻刻

寄給ふに白き雉子一羽来りて尋参らせ此岡に 至り給ふに千手観音の堂あり是に籠給ふに瘂 おこひ給ふにより天子聞召勅定を以一宇御建立 あり勅定山明泉寺と号す姫宮も乳母も尼君と なりあたり近きに住給ひし所を姫崎といふ又古 君の名あり霊■出し所を■の浜といふ又其比 明星天より下り石となる夫ゟ霊水出しゟ明泉 寺と号といへり其旧跡残り有といへ共いつのとき にや縁記もなくなり言伝へのみ幽なることくなり はつる事かなしくもある霊場のあさまになり元亨 釈書の比洩しも遺恨のことなり当国順礼第一番の 札所にて今も観音は霊験あらたにて諸人歩みを はこふ也又上田寺とて近し今は禅宗也是も其 比此尼姫の千手観音御影を刻み給ふ本尊とい へり是は当国第二番の札所也      明泉寺住寺の隠居なるか安永三年三月      十五日入定有しとて我等其年五月 しに      その縁の有様殊勝にて