能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 6

ページ: 6

翻刻

昔は大社にて百姓に神主鍵主抔とてあり此宮森は 高き所の崎にあれは跡方も見ゆる也又木の下とて 古き百姓あり数千年の者にて藤原氏小林性の由 利家公の絵像伝へり又は日本往生伝にあり鞍見の里 唯信の母木の下氏とは此家のこと也又蛸嶋境に 鉢ヶ崎とて□不思義の塚有是は泰澄大師の鉢の 子を納し塚也依て鉢ヶ崎といへり又蛸嶋村は雲津 より廿町有家数は四百軒有近郷の猟場にて四十 物其外問屋あり繁昌也川端とて山廻役あり其外 能き身上の者有昔此沖に大成蛸あり船中又は近郷 の人を取此山の山神と戦ひ終には山神平け給ふゟ 今氏宮山王権現是也其大蛸化して嶋となり今弁才 天の宮あり□磯三口町に有蛸嶋の名あり      黄昏に宿をもとめんと    夕きりやともしひ細き延■か軒 又正院へは拾町余有間に正院川尻村とてあり稲山の 要害とて城跡あり城主温井兵庫とて畠山の家臣 にて越後の勢と戦ひ落城ありし也今氏神稲荷