能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 7

ページ: 7

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の社□□あり礎石垣其侭有其時の外堀のあととて 内門とて有又此村の内新保といふに七郎右衛門とて古 き百姓有持宮とて五町斗山に日の宮と云あり惣 して雲津より布浦迄を長浜の浦とて不残 塩浜にて風景言語に絶したる名所也記事にも 出る所也其上塩おふく出来ありて大浜とも云り       寺家より壱里六丁本馬四拾九文軽尻三十    本村 文人足拾五文家数五十軒斗散村になり山       中にあり 雲津より山中へ入て正院よりの本道也本村とは中 比よりの名とて近郷の本村ゆへ名に呼へり元は 鞍見村といひし也則日本往生伝といふ仏書に能登 の国鈴の御崎鞍見の里出生唯信といふ僧山城の国 醍醐の食花堂にて不思儀の往生有父は親鸞 宗母は木ノ下氏とあり則此村の浄土真宗の光楽寺と いふの子なり能々画(エカケ)るによつて大和の当麻の慢 陀羅を写して今諸人拝む所の当麻の慢陀羅 は此唯信の画る写しといへり其時一集に写せし慢