能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 63

ページ: 63

翻刻

     前波より壱里拾丁本馬六十弐文軽尻三拾   甲村 八文人足拾九文黒崎宮古阿曽良大甲小甲      五ヶ所にて家数百七拾軒斗 此村は王余急の名物也昔堀川大納言弟左兵衛督 とて京都兵乱の頃此所へ兄弟の公郷来り住給ふ其 頃まて此村を阿曽良といひしにより阿曽良大納言 といひし由住給へる所を宮古といへり其兄弟の塚は 武連の二子山といふに有といへり此比ゟの者とて今 右馬蔵人刀祢九文抔とて百姓に有此郷の植給ひし とて阿曽良の笠松枩とて風景の地に名木有又此 村は入海して奥深き事廻れは阿曽良迄弐十丁も あり船にて渡せは四五拾間斗也大蓮寺とて禅 宗あり此寺の隠居恵寛和尚といへるか安永年中近 発願にて左右ゟ石垣を積出し長拾五間の橋 出来せり名を鹿橋と号し此風景類ひなけれ 僧俗の詩哥連俳有を集て鹿橋記とて一冊 あり中にも恵寛和尚の哥に    入海や舟路にかわる長橋も