翻刻
前波より壱里拾丁本馬六十弐文軽尻三拾
甲村 八文人足拾九文黒崎宮古阿曽良大甲小甲
五ヶ所にて家数百七拾軒斗
此村は王余急の名物也昔堀川大納言弟左兵衛督
とて京都兵乱の頃此所へ兄弟の公郷来り住給ふ其
頃まて此村を阿曽良といひしにより阿曽良大納言
といひし由住給へる所を宮古といへり其兄弟の塚は
武連の二子山といふに有といへり此比ゟの者とて今
右馬蔵人刀祢九文抔とて百姓に有此郷の植給ひし
とて阿曽良の笠松枩とて風景の地に名木有又此
村は入海して奥深き事廻れは阿曽良迄弐十丁も
あり船にて渡せは四五拾間斗也大蓮寺とて禅
宗あり此寺の隠居恵寛和尚といへるか安永年中近
発願にて左右ゟ石垣を積出し長拾五間の橋
出来せり名を鹿橋と号し此風景類ひなけれ
僧俗の詩哥連俳有を集て鹿橋記とて一冊
あり中にも恵寛和尚の哥に
入海や舟路にかわる長橋も