能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 65

ページ: 65

翻刻

城の高といふ有是は平右衛門督といひし人城跡なり 天正年中落城のよし      曽良■宮古の入江の■間をわけ      戸渡る船のいとも面白く    詠めよと漕にはあらて稲小船 又宇出津抔より口渡りとて所口への往来あり 此甲村より向の嶋の路へ姥ヶ浦といふへ渡る是を 大口とて海上一壱里あり舟賃は壱人に五分宛なり 夫ゟ嶋の路鰀目村長崎村野崎村を経て日出ヶ崎 村へ向の陸なる三室村へ渡る也是を小口とて廿丁海 上あり舟賃壱人三分宛也三室村ゟ大田村抔経て 所口へ出る也甲村より所口迄六里半あり又甲村を 廻(マハ)れは曽良鹿波岩 車(クルマ)とて礒伝へ三ヶ村あり皆公領 也曽良村近し坂東とて古き百姓有利家公ゟ械役 二枚御免許の御墨附戴きあり此者先祖は下野国高 木の城主紬木家直といひし人甲の阿曽良といふ所に 来り有しに又此所へ移りて曽良と各村子孫さかへ て今一村となれりといへり千寿院とて真言宗あり