キリシタン関連史料を翻刻

コレクション: コレクション1

切支丹御退治記 49巻. [7] - 翻刻

切支丹御退治記 49巻. [7] - ページ 65

ページ: 65

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  廿五日己未 松平甲斐守輝綱天草日記曰廿五日雨降 勇功記曰同廿五日之昼松平伊豆守殿御陣江諸  家之家老を召給兼ては明朝細川越中守三之  丸を乗取可被申に定らる昨日諸手江御書付  を被出希れ共故有而明日者被差留由被仰渡  しかは有馬内記御陣尓帰りて上使之仰を御  父子江申上る 天草軍記曰二月廿五日城兵冨岡弥左衛門妻子  細川手先江落来候則搦捕畢ぬ 島原征伐始末別記曰二月廿五日  上様二之丸御丸江被ゐ成候肥前ゟ十四日之  日付に而黒田右衛門佐島を取其上に勢ひろ  うを上うなきかくひを見おろし鉄炮を打加  希被申候に付うなきかくひ尓人数五百程居  申候かよわみ申躰に見江申由御注進有之由  弥太郎申候二之御丸ゟ申之下刻に麻布江被  ゐ成候由   廿六日庚申