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廿五日己未
松平甲斐守輝綱天草日記曰廿五日雨降
勇功記曰同廿五日之昼松平伊豆守殿御陣江諸
家之家老を召給兼ては明朝細川越中守三之
丸を乗取可被申に定らる昨日諸手江御書付
を被出希れ共故有而明日者被差留由被仰渡
しかは有馬内記御陣尓帰りて上使之仰を御
父子江申上る
天草軍記曰二月廿五日城兵冨岡弥左衛門妻子
細川手先江落来候則搦捕畢ぬ
島原征伐始末別記曰二月廿五日
上様二之丸御丸江被ゐ成候肥前ゟ十四日之
日付に而黒田右衛門佐島を取其上に勢ひろ
うを上うなきかくひを見おろし鉄炮を打加
希被申候に付うなきかくひ尓人数五百程居
申候かよわみ申躰に見江申由御注進有之由
弥太郎申候二之御丸ゟ申之下刻に麻布江被
ゐ成候由
廿六日庚申