翻刻
尼子岩上江語て胸を突連たると云岩上云ふ
は沙汰はし春な跡なけれは證拠に難立者也
裏江抜すは具足を見て後に人に語連と功者
成義を若武者に教江たるとかや尤漸連たる
跡有り其具足を予も見たる也時に山中両人
江云は能働之場也此所を立去ましと云ふ岩
上聞て貴殿者役なし両人は事を告役なれは
信綱江此事知らせ扁しとて立退んとし希れ
は山中手を負怒る故是を引事なら春といふ
岩上さ楚あらん迚下部に負かせ行て鍋島手
之者之小屋江紀伊殿御内衆也看病しゐへと
云て預置働之場江黒田甲斐守同市正馳来り
只今之働是に而見申也勇に屋さ敷御働と大
きに褒美せら連けるとそ申伝り
又曰三宅藤右衛門島子に於而首尾悪敷に原之
城ゟ賊徒等夜討之時分首尾を合島子之恥を
春々ぎたると有は無せんさく也義なり冨岡
之城代三宅藤兵衛は本渡之浜に於て討死其
已後徒党一万余之人数を催し冨岡之城を襲
んとす故に藤兵衛嫡子藤右衛門前方は城ゟ