能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 12

ページ: 12

翻刻

六弥太の白城とて有誤りにやしかし此村に六弥太 の子孫とて百姓にあり又河原村といふに能き百 姓有昔は長者と呼ひし由其外古き百姓に武器 抔持伝へたる者此郷に多し高枩より今濱まてに 米出川相見川とて二筋あり是は常にすくなし 川止に相見の神社立給ふ近郷の宗社なり式内也      高枩ゟ壱里三十四町本馬七拾八文軽  今濱  尻四十一文人足は三十八文家数弐百      軒余あり 此宿昔はあれ地の捨浜なりしに上は川尻村は 水難に退転し下は宿村とて末森城下にて 駅ありしに是も兵火に中絶して有しに其比 子浦又は一宮より高枩迄駅なくして往来便り 悪敷により御詮議ありて近里紬見村新保村 鍋坂村の三ヶ村を此処に合せて新宿被 仰付しゟ 今濱の名有今は内外の追分の駅なれは次第に 繁昌して猟師商家数多出来内浦へ行は子浦 にて馬次也外浦へ行く一宮にて馬次也又此村之