能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 16

ページ: 16

翻刻

は畠山家ゟ弐壱〇〇百石宛行有しか天正年中畠山絶 し後百姓となり今に墨付持伝へり菅原合戦の 時感状抔あり      今濱より弐里拾五町本馬八拾八文軽  一ノ宮 尻五十四文人足四拾四文なり高松ゟ      是まては平份なり 此一宮は宿と寺家と二ヶ村になりて宿の分は家数 は百軒余計有て商家抔有又寺家村は気多の 社の門前にあり神主百姓入交て是は百五拾軒 計有此一村は気多の社地にして火を齋む事 正し式は女の月の穢抔は家之屋後に別家ありて 籠る也懐胎の者は山に出小屋とてあり是にて産 する也其外当社は他社と違ひ社格色々ありて 厳重なり若し無慎の者あれは忽に其崇礼にあ るなり惣して昔は一国当社の守地なれは如此火 を齋しによつて能登に浪主産して新齋(アライミ)の 内を小屋の内といふ