能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 17

ページ: 17

翻刻

又気多の一宮は大社にして延喜式抔に委し本殿 は大己貴の命奥の社は素盃【盞は盃の小さなもの】の命稲田姫の 命なり則御夫婦の御神此所にて神隠れ給ふと なり頂(ウナジ)の社は大最【穴か?】持の命の御像名也神代より 御鎮座にして北国の大社なり又諸神記の中 巻に曰気多の神社は崇神天皇の御宇御勧請 とあり類衆国史神祇の部に文徳天皇斉衡二年 五月辛亥詔ありて能登国気多の大神宮寺に 住寺を置となり其比は社人祢宜社僧多くありて 今に六万坊抔と云所あり社領其比は羽喰郡三万石 なり中比畠山国守の時は三千石なり其後は兵乱に 太神宮寺多くの社人衆徒も絶転して御当代に なり亜相利家公社領三百五拾石御寄附又黄門利 常公に成大宮司桜井氏の外に社僧四ヶ寺御建立 あり社頭諸堂御再興有て御膳調進の濱拾町 細船一艘御寄附大宮司大監物は六拾五石社人廿人と 神子壱人は七石宛別当長福院は六千石地蔵院薬 師院正覚院三ヶ寺共拾石宛也御社領三百五十石