能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 25

ページ: 25

翻刻

客殿に懸りあり又開山日乗上人此寺の繁栄 は茅張へしとて平生用ひ給ひし槐’(エンシユ)の杖 をさし給へるに大木となり今開山堂の後に 杖塚とて槐の木の生して枯木あり又釈迦堂 の本尊は丈六の大仏なり此 御首(ミクビ)は足垣の礒に 奇瑞ありて寄給ふ尊像也其外其外霊像多し 昔此寺は瀧谷寺とて石動山門流の教院の 大地なりしに時の住 を乗徴阿舎利とて尊 き行者なりしにあるとき佐渡の国への渡りの 船中にて日蓮上人の御弟子日像上人と行力く らへありしに阿舎利日像上人に負給ひて弟子 となり日乗と改名ありて則此寺を日像上人に 渡し法花の道場となし給へり永仁二年四月の 事なり此事石動山衆徒聞て色々仇をなすと いへとも不叶して終に日像上人草創あつて 日乗上人を開山となし給へり毎年六月廿六日日乗 上人忌講会あり諸商人他国より多く集り参詣 多群集して繁昌なり此忌講会は諸国の末