翻刻
芦原のみにて
礫(ツブテ)打て雲雀たたせる芦辺哉
惣して此能登の国は昔は今濱村ゟ三崎まて
内外の流伝ひ往来なく山の中通往来せし
なり其時は此福野村抔通りしもの也是を
今中道通りといへり諺にいふ能登はやさしや
土まてもといふは此中道のこと也菓実菜
根まて浦半とは違やわらかにて味よし
一ノ宮より弐里弐十五町本馬九拾
神代河尻 壱文軽尻五十五文人足四拾五文
なり家数三十軒計あり
此村川の湊にありて給人米蔵宿有其外商家
あり小船抔出入して余程繁昌なる所なり■■
下りて冨木へ越ゆる往来二筋あり其筋は五里
峠とて弐里余にて人家なし難所なり峠是も
本道なり又壱筋福浦村を経て行也是は道
よし浦半の詠あり然共福浦の に石山