能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 38

ページ: 38

翻刻

冨木とは惣名にて此辺郷名也町中に冨木川 とて流る川の東は地頭町村西は領家町村也 其外町七海村町本口村入交り家数 五百軒計あり不残商家にて八兵衛膏薬哥 仙具抔あり繁昌成所なり《割書:御収納蔵給人米蔵宿等|あり林氏十村役有》 又冨木の城跡は東の山城ヶ根尾といふ所にあり 又留木川は貝田川とも河内川ともいへり源は 鳳至郡河内村奥山より流て川筋七里余にて 海へ入る也此川縁を上り内浦熊木へ出る道あり 此冨木院内とて山広く横幅能州への広さなり 熊野方の四《見せ消ち:釶(ナタ)|鉈》打の郷とて村々多し《見せ消ち:釶|鉈》打山 とて近郷の高山あり昔俊寛僧都康頼成経三 人の配所此辺にて俊寛此山に三十三所の観音 を建順礼ありし観音の堂有今も無志(ムシ)ヶ(カ)岑(ミね)と て当国廿四番の札所なり元は那谷内山と書し也 則僧都那知山と谷汲寺をかたとり付られし 由加州那谷山寺観音は此所の本尊なりしを利