翻刻
冨木とは惣名にて此辺郷名也町中に冨木川
とて流る川の東は地頭町村西は領家町村也
其外町七海村町本口村入交り家数
五百軒計あり不残商家にて八兵衛膏薬哥
仙具抔あり繁昌成所なり《割書:御収納蔵給人米蔵宿等|あり林氏十村役有》
又冨木の城跡は東の山城ヶ根尾といふ所にあり
又留木川は貝田川とも河内川ともいへり源は
鳳至郡河内村奥山より流て川筋七里余にて
海へ入る也此川縁を上り内浦熊木へ出る道あり
此冨木院内とて山広く横幅能州への広さなり
熊野方の四《見せ消ち:釶(ナタ)|鉈》打の郷とて村々多し《見せ消ち:釶|鉈》打山
とて近郷の高山あり昔俊寛僧都康頼成経三
人の配所此辺にて俊寛此山に三十三所の観音
を建順礼ありし観音の堂有今も無志(ムシ)ヶ(カ)岑(ミね)と
て当国廿四番の札所なり元は那谷内山と書し也
則僧都那知山と谷汲寺をかたとり付られし
由加州那谷山寺観音は此所の本尊なりしを利