翻刻
【右丁】
大やけの仰事ありて野呂玄丈青木昆陽なと此学を
心かけられのち昆陽を長崎にゆかしめてくさ〳〵の書
をも習はせられしとかされと内科の医術はそのころ
いまたことたらすやありけむ原書によりて内科の法の
ひらけそめしは明和の比杉田懿【鷧の誤記ヵ】斎前野良沢なと
よりして飜訳にくるしみ年月を経て杉田の解
体新書なりぬさて宇田川槐園の内科撰要同氏
榛斎の医範提綱なと次々に多くなり行医療の上
手も出来て今の御世になりて伊東戸塚の両法印
より上の御薬も上らるゝ事となり和蘭の医師を
【右丁】
長崎に呼せられて官医共に其道をならはさしめ給ひ
またはる〳〵かの国に侍医の子供をゆかしめてならひまな
はせられこゝにも西洋医学の学校を建られていわく
其みちをおこさるゝはすへての事のよきか上にこそよきを
挙させらるゝ四方の海広く筑波山のかけたけき御恵み
ともいふへくなん此養生法は人々病と名付る事のおこら
さるさきにあらかしめ其身をかため守るへきをしへなり
はやく醍醐のみかとの御とき源輔仁か養生法えらはれ
しときけと今其書も伝らす近く貝原益軒か養生
訓もあれと今世のことく漢家西洋家共にひらけたる