翻刻!江戸の医療と養生

コレクション: コレクション3

養生法 - 翻刻

養生法 - ページ 55

ページ: 55

翻刻

【右丁】 大やけの仰事ありて野呂玄丈青木昆陽なと此学を 心かけられのち昆陽を長崎にゆかしめてくさ〳〵の書 をも習はせられしとかされと内科の医術はそのころ いまたことたらすやありけむ原書によりて内科の法の ひらけそめしは明和の比杉田懿【鷧の誤記ヵ】斎前野良沢なと よりして飜訳にくるしみ年月を経て杉田の解 体新書なりぬさて宇田川槐園の内科撰要同氏 榛斎の医範提綱なと次々に多くなり行医療の上 手も出来て今の御世になりて伊東戸塚の両法印 より上の御薬も上らるゝ事となり和蘭の医師を 【右丁】 長崎に呼せられて官医共に其道をならはさしめ給ひ またはる〳〵かの国に侍医の子供をゆかしめてならひまな はせられこゝにも西洋医学の学校を建られていわく 其みちをおこさるゝはすへての事のよきか上にこそよきを 挙させらるゝ四方の海広く筑波山のかけたけき御恵み ともいふへくなん此養生法は人々病と名付る事のおこら さるさきにあらかしめ其身をかため守るへきをしへなり はやく醍醐のみかとの御とき源輔仁か養生法えらはれ しときけと今其書も伝らす近く貝原益軒か養生 訓もあれと今世のことく漢家西洋家共にひらけたる