翻刻!江戸の医療と養生

コレクション: コレクション3

養生法 - 翻刻

養生法 - ページ 54

ページ: 54

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【右丁】 たらさるなりそも〳〵西洋の医術は外科にはしめて 西吉兵衛といへるもの南蛮人の外科をまなひ蛮人 禁止せられてより和蘭陀人に学ひ両流と唱しを世々 西流とて長崎に名高くのち玄甫と改め寛文の比 杉本忠恵なとゝともに侍医にめされて法眼になされぬ また栗崎流と唱しは道有といふものあり南蛮人の 種なりとそ南蛮人平戸長崎に雑居のころ妻をもち 子もありしか蛮人放流せられしとき共に彼の地に 行て生長しぬれと邪宗門にいらすして医術を 学ひしにより御ゆるしをえて帰朝して其術大に 【左丁】 行れしなり今官医の栗崎氏の祖なるやしるへからす 桂川氏はそのかみ平戸の嵐山甫安にしたかひ長さき にて蘭人の外科を学はれあらし山の流をくむとて かつら川と名のられしを始て桜田の御館に召出され ぬとか楢林豊重は長崎に弘めて楢林流とてさかえ たりまたカスパル流といふ外科もありしとそこれは 寛永のころ南部山田の浦に漂着したる蘭船に 乗来しカスパルといふ外科にて江戸にもめされて 滞留せしとかいへと其後は今詳ならすかの国の書 籍よむ事は享保五年にみゆるしありて始りぬるより