翻刻
年の後ハ使來る事いまた見る所なし其國の使
叅拜の儀ありて御返書を賜ハれり
但し此國の事ハ西洋の歐邏巴の地方 伊西把(イスハ)
彌亞(ニア)より治る所也これによりて呂宋國王よ
りの使にハあらす伊西把彌亞の官人よりの
使也。
暹邏(シヤムロウ)
慶長十一年に此方より御書と物とを贈られし
より彼國の使も常に來りて叅拜の儀ありき寛
永六年以後其國の使叅拜の儀ハ聞へす其商船
ハ今に年年渡り來れり
亞馬港(アマカハ) 卧亞(ゴア)
此國國の事ハ西洋の歐邏巴の地方波羅多伽兒
よりして官人を卧亞につかハしをき卧亞より
して亞馬港を兼帶して治る由也これすなはち
我國にて南蠻人といひ其船を黑船とも申す事
也《割書:伊西把論亞より呂宋を治め波羅多伽兒より|卧亞等を治る事ハたとへは阿蘭陀より咬𠺕》
《割書:吧を治る事のことし|事長けれは詳にし難し》我國の船相通せし事ハ
慶長の初よりの事か書と物とを奉りて其使を
引見せられし事ハ慶長十七年より始る元和七
年の後ハ使來る事いまた聞す
太泥(タニ)
慶長七年に始て書を奉り物を賜ハれり《割書:是より|先慶長》
《割書:四年に御書をつか|ハされし事ありき》慶長十一年の後ハ其使來ら