琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

骨董録 - 翻刻

骨董録 - ページ 18

ページ: 18

翻刻

年の後ハ使來る事いまた見る所なし其國の使 叅拜の儀ありて御返書を賜ハれり  但し此國の事ハ西洋の歐邏巴の地方 伊西把(イスハ)  彌亞(ニア)より治る所也これによりて呂宋國王よ  りの使にハあらす伊西把彌亞の官人よりの  使也。   暹邏(シヤムロウ) 慶長十一年に此方より御書と物とを贈られし より彼國の使も常に來りて叅拜の儀ありき寛 永六年以後其國の使叅拜の儀ハ聞へす其商船 ハ今に年年渡り來れり   亞馬港(アマカハ)  卧亞(ゴア) 此國國の事ハ西洋の歐邏巴の地方波羅多伽兒 よりして官人を卧亞につかハしをき卧亞より して亞馬港を兼帶して治る由也これすなはち 我國にて南蠻人といひ其船を黑船とも申す事 也《割書:伊西把論亞より呂宋を治め波羅多伽兒より|卧亞等を治る事ハたとへは阿蘭陀より咬𠺕》 《割書:吧を治る事のことし|事長けれは詳にし難し》我國の船相通せし事ハ 慶長の初よりの事か書と物とを奉りて其使を 引見せられし事ハ慶長十七年より始る元和七 年の後ハ使來る事いまた聞す   太泥(タニ) 慶長七年に始て書を奉り物を賜ハれり《割書:是より|先慶長》 《割書:四年に御書をつか|ハされし事ありき》慶長十一年の後ハ其使來ら