翻刻
塔伽沙古(タカサゴ)
寛永四年十一月に此國の理伽といふ者叅拜の
儀あり是より先叅拜の例ありしやいまた詳な
らす
伊西把彌亞(イスハニア)
寛永元年此國より使を奉る《割書:すへて|三百人》此國は天主
の法をたつとふ事によりて其使をおしかへさ
る
田彈
慶長十一年御書をつかはさる竒楠の上品の物
を求らる但し田彈といふ國の名きゝも見も及
はす邏馬人《割書:寶永の比邪蘇法を我國にすゝめん|とて薩摩國屋久島に渡り來り江戸》
《割書:にめして後に刑せられし|ヨハンといひしもの也》阿蘭陀人等に尋ると
いへともしらすもしは番丹國の事を傳寫あや
まりて番と田と誤寫し彈丹同音の字なれは通
し用ひしか未詳
此外
唐船の渡り來りし始は慶長十四年也
朝鮮の使來りし始は慶長十二年也
琉球の入貢は慶長十五年より始れる也
外國通信事略《割書:畢 》