翻刻
君を稱して其國王と記す事ハ世世の史官おの
おの我本朝の天子を相尊の常なれは是等ハ論
するに及はす其後隋の場帝の世に當りて倭國
王奉れる書に日出處天子致書日沒處天子とし
るされし由見へたり《割書:異國の書に本朝天皇の御|事を天子としるせし事隋》
《割書:の代を以て|始とすへし》其後唐の代に至てしるせし所ハ日
本ハ古の倭奴國也其王の初 天御中(アマノミナカ)ヨリ 彦灘(ヒコナキサ)に
至ては皆以尊爲號彦灘の子神武より後ハ㪅以
天皇爲號と見へたり《割書:異朝の書に本朝天皇の御|事を天皇としるせし事ハ》
《割書:唐の代を以て|始とすへし》其後宋の世に及ひて本國圓融院
永觀の初に東大寺の僧奝然宋に渡りて本朝の
皇年代記職員令等の書を以て彼天子に獻すこ
れよりこのかた本朝天皇の御事とも猶詳かに
聞えて彼國代代の史書に見へし所も詳になり
ぬ《割書:元明の史書に見へし所共皆皆宋史により|て本朝代代の天皇の御事ともをしるせり》其
後明の代に日本天皇日本國王の御事をわかち
しるして天皇の御事ハ國事に與らす兵馬を幹
らすたゝ世世國王の供奉を享給ふ由をしるせ
り《割書:朝鮮の書にハ日本天皇代序日本國王序なと|詳にしるして本朝の傳記にもみへたる事共》
《割書:詳に記せし|物共あり》
日本國王の事
異朝の書に見へし日本國王の御事鎌倉の頼朝
の御事を以て國王の始として京都代代の公方
の御事皆皆日本國王としるせり其中に鹿苑院