翻刻
の公方ハ正しく明の太宗の時日本國王に封せ
られ薨逝の後に恭獻王といふ諡をも賜られき
《割書:當時南朝の君臣此事を諭して日本小國といへ|共開闢以来異朝の爵を受し事なし義滿の時に》
《割書:及ひて異朝に臣と稱する事ハ日本の恥なりと|のたまいしよし記したる物あり誠にことハり》
《割書:なりと|可申歟》其後また明の神宗の時豐臣秀吉を以て
日本國王と封せられしを我もとより日本國王
たり異朝の封を受へきにあらすとて其使をお
し返され《割書:此時に 東照宮をも右都督に拝せら|れて冠服まてをもつかハされき秀吉》
《割書:の其封爵をしりそけ給ひし事誠|に日本の面おこしと申すへし》朝鮮の書にし
るせし所も異朝の書に同し但し其國王我國王
に贈れる書に日本國王としるし來りしハ秀吉
の時を始とすへき歟
本朝異朝の天子往來書式の事
異朝の書に魏𣈆宋の代代倭國王上表し天子詔
書を倭國王に賜ふなと見へし事とも本朝の國
史にハ見へす《割書:表とハ臣下の天子に奉る書なり|詔とは天子臣下に賜る書なり》
但し異朝歷代の史にしるせし所最詳なれは其
事なしとはいふへからすおもふにこれは其比
ほひ本朝より三韓の地に置れし日本府の宰臣
本朝天皇に承りて異朝の天子に朝聘せし事共
ありしと見へたり《割書:三韓の國國ハ今の朝鮮の地|是也其地漢土の東邊につら》
《割書:なりて上世以來其上國に服屬せり然るに神功|皇后の御時に當りて三韓の國國西藩の臣とな》
《割書:なりしかは日本府を其地に置れて諸藩の事治ら|る其後新羅高麗等の國國やゝもすれは本朝に》
《割書:二心ありしによりて日本府の宰臣其上國の威|靈を假りて諸藩の心を鎮服すへきかために朝》