翻刻
の者は帶劍防戦して國内の狼籍を守護し老弱
のものは讀經修法して山中の安穏を祈禱せし
よりおのつから學侶行人等の名は出來しと云
また行人方を總分といひ學侶方を多分といひ
しも天正の頃より世の人申しならはせる所也
といふ聖といふ者は中頃時宗の此山に來り住
て或は念佛を修行し或は廻國勸進せしを
神祖の御時に至て眞言秘密の靈場に其法侶に
あらさるものの雜り居へき事然るへからさる
由の仰せによりて悉く皆眞言の教に随ひしと
いふ
木食上人高野山を再興せし事
興山寺の開祖興山上人應其といひしは木食修
行の僧なりしかは世には又木食上人とも申せ
し也此上人もとは近江守護佐佐木の流にて三
十七の時に出家し高野山に登て修禪煉行す秀
吉關白世をしり給ひし始に紀伊國高野根來の
僧徒等やゝもすれは甲冑をよろひ弓箭をとり
て某を押妨たる事佛法にもちかひ王法にも背
き甚無道の至り也とて天正十三年の春自ら十
萬餘騎の兵引具して國中の要害ことことく
に打傷りてうたるる者二千餘人まつ根來寺に
攻入り堂塔寺院ことことくに焼亡さる高野大
衆會合して僉議するに防戰ふせき義勢もなく