琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

骨董録 - 翻刻

骨董録 - ページ 69

ページ: 69

翻刻

大師の靈跡破滅せん事此時を以て其期とす應 其大悲願を發しいかにもして此厄難をはらゐ て佛祖の恩にむくふへしと思ひ此僧か申す旨 に任せられは一身を以て大衆の命にかはり秀 吉の軍をしりそけて我山の再興を致すへしと いふ大衆大きに力を得て是則曩祖大師の再來 し給ひて我山を中興し給ふ所也いかてかのた まふ所に背く者あるへきといふ應其やかて 嵯峨天皇曩祖大師の手印等をうけとりて秀吉 の陣に行むかい此山亡さるへき事然るへから さる事の由を歎き申けれは秀吉忽に心とけて 七條をしるして一山の僧徒を詰難せらる大衆 一同に怠状を捧しかは木食上人一身を捨て大 衆の命に代りて歎き申す所を感し上人の爲に 此山を建置よしの壁書を下され上人を以て一 山の僧綂とせられ學侶行人時宗客僧悉く皆上 人に附屬せらるる由を以て下知せらる同十八 年上人一寺を建立す關白の執奏によりて宸翰 を染られ《割書:後陽成院|の御時也》興山寺の額を賜て勅願寺と なされ勅して千石の地を以て竒附せらる《割書:是朝|家よ》 《割書:り御竒附の申也といふ亦秀吉つねに人に【右に二字追記】むかひて|高野の木食と思へからす木食の高野也と宣ひ》 《割書:又上人の寺を興山と附られし事も上人此山を|再興せし功德を顯さるる所なりと見へたり》 同二十年秀吉の母公上人をして一寺を建立せ しめ三千石の地を竒附せらる今の靑巖寺是也