翻刻
時に及ひて宜く其御沙汰有へき御事に候歟
たとひ彼國の者共の我國におゐて宿怨こと
ことくに解やらすとも
東照宮の彼國を再造せられし御恩に於ては
其國王大臣にありて相忘るへからさる事に
候へは我國におゐても唯隣國の御交を全く
せらるへき事國體に於ても可然御事に候と
存寄たる故にて候ひき然るに
前御代 御他界の後に至りて朝鮮の大學士
崔鳴告と申せし者の其大臣と相議し國王に
申て修し正し候攷事撮要と申其書を見候に
慶長以來彼國の使來りし事共みな〳〵其情
形を偵探【左に「ウカヽヒサグル」と有】して明の天子に奏聞せし由を記し
き《割書:我國の案内撿見の|使と申す事なり》それのみならす
東照宮の御事始奉りて
御代代の御事皆皆倭酋を以て稱し候ひき彼
國の人常に隣國の交は禮と信とを以てする
由を申又朝鮮は古より禮義の邦也なとゝ申
そ事に候得とも我國にひかひて隣好を繼て
聘禮を脩め候と申て其國にては倭情を偵探
するの使とし吾邦にむかひては國王を以て
尊ひ稱し其國にては賤しめ稱して倭酋と申
候事何の禮とし信とする所候はんやなにの
禮義の邦とすへき所候はんや誠に古に申傳