翻刻
してこれなき事もなく新羅文武王と申せし
は我國の兵を患られて自ら誓ひて死せし後
には龍と成て國を護り寇を防くへしとて東
海の水中に葬られし故其子神文王父を慕ひ
て高き臺を築て東を朢まれしに大龍海中に
あらはれ見へしとて今も我國の方の慶尚道
の海邊に大王巖なと申す所現在し候程の事
に候へは彼國の君臣の我國の事を恨愠り候
事誠に萬世の讎と思ひなし候故にて候然る
を又秀吉の御時彼國の兩京を陷れ先王の墳
墓をも押破り其禍七年に相つらなり百年の
今に及候得とも我國の方の地凡七百萬石許
の所は荒野の如くに成果壬辰の年に《割書:すなは|ち文祿》
《割書:元|年》我國の軍うち入候日を以て海上に戰艦を
泛て吾邦の兵調伏の法を行ひ候事年年に絶
す元より其兵弱くして我國に敵すへからさ
る事をは覺悟しいかにもして文事を以て其
恥をすゝくへしと思ひめくらし候ひしかは
此年頃思はるる外の事共に外國の侮をは取
候事も候ひき然るに此度に於ては彼國の者
共其志をうしなひ候事とも多く候へは此後
必しも一國の力を盡しても亦其志を得候は
ん所を相謀るへき事に候鄙しき辭にも勝て
は冑の緒を縮ると申ならはす事も候へは此