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官版疫毒預防説 全 - 翻刻

官版疫毒預防説 全 - ページ 14

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【右】 分の頃一時/痧病(コレラ)蔓延して最 ̄モ凶暴の性を顕はせりバロニの 祭禮は例年其参詣する者夥しきに當年全く廃するに至る は其明證となるべし但 ̄シ其道路諸處に死人多して原野に在 るものは狗及び蟻の食餌となれり又千八百四十六年の夏 に於ては此病/阿富汗(アフガニスタン)亞喇伯(アラビー)波斯(ベルシー)亞爾美尼亞(アルメニー)美索不迷亞(メソポタニー)叙(シー) 里亞(リー)小亞細亞に流行し其後印度大陸の諸地更に南部なる 錫蘭(セイロン)島に流行せり其證何れの地に行はるゝも皆惡性にし て阿富汗のキュラツシにては二萬五千人の居民其半ばを𠤭 失しバクダットに於てはリマサンの祭禮の節暫時間に七千 人を𠤭失せり又佛哈刺(ボカラ)威聊(ラヘラット)及び波斯より黙加(メッカ)の方に到る 【左】 参詣の侶約するに六萬人全く死するに至れりコレラ病右 の如き告知ありて後は暫時其萬延の勢を止めて千八百四 十七年の第五月得勒(チブリス)に於て稍 ̄く甚しく現れ終に欧羅巴 俄羅 斯 没斯科にまで萬延するに至れり而して千八百二十九年 及び千八百三十年に於けるが如く両地界即 ̄チ俄倫堡(オーレンビュルグ)鎮の西 界と裏海の西岸とを超へて窩瓦(ヲルガ)河に沿ひ行けども北北西 に至ることなく却て時々岐路に走り又其萬延至て徐々なれ ども往時の如く河邊に進むこと多く以て特に河邊の地を荒 亂せり但 ̄シ高燥の地は印度にても猶 欧土の如く或は全く之 ̄レ を免かれ或は流行するも甚しきことなし又此病の流行以來