翻刻
【右】
其學、値安政戌午、亞細亞霍亂流行、長崎最甚、鎮台岡部
駿河守、惻然不_レ忍、命良順_一救治、良順乃謀_二之朋百_一施_レ療、救
拯極多、今年壬戌、良順歸_二東都_一、自_レ夏迄_レ秋、麻疹挟_二霍乱_一又
大行、都下死𠤭相望、君亦救治活_レ人、其功不 ̄レ尠、値本館活_二
刷霍乱説_一、□儒乃請筆_二其略説_一、附_二該□譯文之後_一、以公_二子
世_一、亦求_レ備之微意見耳、
文久二年壬戌初冬 箕作□儒謹識
【左】
檢疫説(キュランタイニ)《割書:千八百四十年版プラクチカーン、セーファ|―ルトキュンデ上巻第二葉に出づ》
案ずるにキュランタイニは四十日の義なり原註に云く
佛朗察人は此語を傅染病即 ̄チ疫の預防法の意に用ゆ葢 ̄シ傅
染病ある地より來りて四十日の間健全無事なる者は疫
を傅染せざる者と為すを以てなり
航海に因て此地より彼地に傅ふることあるべき陸地の大患
即 ̄チ傅染病流行病疫病の類を預防する為に諸所開化せる人民
には預防法あり之 ̄レを守るが為にに諸川の入口或は外端の番
所に有司を置くなり〇指揮官は最 ̄モ注意して絶て随意なる
ことなく此法及び受けたる命令を破り或は恣にすることなく