日本の仏典を翻刻

コレクション: 大日本仏教全書第80巻

唯識分量決一巻 - 翻刻

唯識分量決一巻 - ページ 9

ページ: 9

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【右頁】 【枠外右上】 112 【枠外右横上】 唯識分量決 【枠外右横下】 一六 【二段構成】 【上段】 有法一分_一耶。 答。約_二淸辨宗_一。於_二有爲有法_一有《返り点:二》二義_一。一 有義。二無義。今許_二有義_一不_レ許_二無義_一。故名《返り点:二》一分_一。以_レ何得_レ 知。廣百論第十卷敎誡弟子品。述󠄁《返り点:二》淸辨計_一云。彼作_二是說_一。 一法一時無義爲_レ眞󠄀。有義爲_レ俗。義差別故互不_二相違󠄂《返り点:一》等。 《割書:云云》由_レ此明知。有爲之上無義不_レ許故名《返り点:二》一分_一。 問。若爾 今云_二有法一分過󠄁《返り点:一》者。若是自相過󠄁。若差別過󠄁耶。 答。有 爲之言旣是極成。今取_二有爲之下無義_一。以爲《返り点:二》一分不極 成_一。故是差別過󠄁。非_二自相過󠄁《返り点:一》。以_レ何得_レ知。基因明疏中卷。 說_二能別俱不極成過󠄁《返り点:一》已。上來三過󠄁皆說_二自相_一。若三差別。 亦有_二不極成_一。如_下勝󠄁論立《返り点:二》四大種_一常_上。四大種中。意之所許 實攝有法差別他宗不許有實攝法。卽名_二所別他不極成_一。 乃至說_二此三過󠄁《返り点:一》已云。於_二彼三種差別不極成中_一。亦有_二自 他兩俱全分一分過󠄁《返り点:一》。准_二此文說_一。今云。有法一分不極成 者。是卽有法差別。他一分不極過󠄁。 問。有爲有法下無義。 與_レ簡_二-別眞󠄀性_一。有_二何差別_一耶。答。言_二別義同_一。卽取_二不極成 無義_一。以爲_二簡別_一。故彼所擧眞󠄀性之言。亦不極成。言_二喩所 能立俱不成過󠄁《返り点:一》者。樞要󠄁下云。同喩如幻者。依_二俗諦_一如幻 【下段】 有《返り点:レ》二。徴如幻實事非_二緣生_一故能立不成。如_二幻似事_一。此宗 非空所立不成。依_二勝󠄁義諦_一彼此二家。一切法皆不_レ可_レ言_二 非空非不空。非緣生非不緣生_一。何得_下以_二空花等_一爲_上レ喩。同 喩亦有_二俱不成失_一。名_二似比量_一。 問。若如幻實事非緣生能 立不成者。廣百論第十文。當_二何會通󠄁《返り点:一》。彼論云。從緣生法。 亦有《返り点:二》二種_一。一者遍󠄁計所執。者二《割書:《箱:考》者二|恐󠄁倒置》依他起󠄁性。如幻實 事。旣是遍󠄁計所執。豈非_二緣生_一。若許_二緣生_一者如何。解云。 如幻實事。能立不成耶。 答。昉法師云。此難不_レ然。執_二緣 生法定實有_一故。故言_二緣生_一遍󠄁計所執謂非_二所執_一。從_レ緣而 生故。卽彼引_二契經頌_一云。若法從_レ緣生。此法都無_レ有。若法 都無_レ有。此法非_二緣生_一。昉師案云。廣百引_二契經頌_一云。若法 從_レ緣生。此法都無_レ性。若法都無_レ性。此法非_二緣起󠄁《返り点:一》。文雖_レ 有_レ異。義意卽同。故緣生因不_レ通󠄁《返り点:二》所執_一。 問。如幻似事。是 喩所依。取_二幻之上緣生義_一。空義方爲_二喩體_一。如何今云_二如 幻似事此宗非空所立不成_一耶。 答。樞要󠄁意者。若如幻似 事爲_二喩所依_一。取_二此幻上緣生空義_一爲_二喩體_一者。卽有_二所立 不成過󠄁《返り点:一》。何者。似事幻上空義。是虛假之空。所立宗上空 【左頁】 【枠外左上】 113 【枠外左横上】 唯識分量決 【枠外左横下】 一七 【上段】 義。是空無之空。旣二空別。如何虛假之空成_二空無之空_一。故 所立不成過󠄁。 問。似事幻上空義。是虛假之空。故不_レ成_レ 宗。空無之空者。瓶上無常是打_二-破無常_一。如何能成_二聲上 緣息無常_一耶。旣緣息義。打破義。別而無常義。同得_レ爲_二同 喩_一。何妨_下虛假義。空無義。別而空義。同得_上レ爲_二同喩_一。 答。 護法不_レ許_二勝󠄁義幻體空_一故。淸辨同喩。有_二他所立不成之 失_一。此量共量故。顯意者。護法論師。約_二勝󠄁義諦_一。不_レ許_二幻體 是空不空_一。旣約_二勝󠄁義_一。幻體之上無_二空不空義_一。何能得_三成 所_二-立空宗_一。故同喩中。有_二他所立不成過󠄁《返り点:一》如_二順憬師_一。於《返り点:二》三 藏唯識比量_一。說_二決定相違󠄂《返り点:一》云。眞󠄀故極成色定離_二於眼識_一。 自許初三攝眼識不攝故。猶󠄁如_二眼根_一。此量同喩有_二所立不 成過󠄁《返り点:一》。大乘眼根非_三定離_二眼識_一。根因識果。非_二定卽離_一故。顯 意者。眼根望󠄂《返り点:二》眼識_一。有_二不卽不離義_一。何得_三以_レ此成《返り点:二》一向 離宗_一。今此類亦爾。護法約_二勝󠄁義_一。幻體上有_二空不空義_一。何 得_三成《割書:《箱:考》成|恐󠄁衍》以_レ此成《返り点:二》一向空宗_一。故同喩中。有_二他所立不成 過󠄁《返り点:一》。 問。因明疏中卷云。勝󠄁論同異性以爲_二聲性_一。聲論本 有聲以爲_二聲性_一。兩宗雖_レ異。竝有_二聲性_一。可聞且常住故惣 【下段】 爲_二同喩_一。不_レ應_二分別_一。何者聲性如_下立_二無常_一所作性因 ̄トシ瓶 爲_中同品▢《返り点:上》。《割書:《箱:考》▢|恐󠄁喩》應_二分別_一。何者所作。何者無常。若繩輪所 作。打_二-破無常_一。無常聲無瓶有。若尋伺所作緣息無常聲有 瓶無。若爾一切皆無_二因喩_一。故知因喩之法。皆不_レ應_二分別_一 等。《割書:云云》今此類亦爾。淸辨勝󠄁義空以爲_二幻體_一。護法勝󠄁義非 空不空爲_二幻體_一。兩宗雖_レ別。竝說_二幻體緣生且等空_一。豈應_二 分別_一。何者幻若空。若不空耶如何。今云。護法不_レ許_二勝󠄁義 幻體空_一故。同喩有_二他所立不成過󠄁《返り点:一》。 答。依_レ簡_二-別惡同喩 之上空不空義_一。調然顯然。非_三是分_二-別空不空義_一。故無_レ妨 也。餘之二過󠄁。思准可_レ知。二側《割書:《箱:考》側|恐󠄁測》法師說。若依_二勝󠄁義勝󠄁 義_一說者。▢有_二相符極成過󠄁《返り点:一》。我亦許故。若依_二世俗勝󠄁義_一。 卽有_二聖󠄁敎相違󠄂過󠄁《返り点:一》。以_三花嚴深密等經。皆說_二有彼依起󠄁性 圓成實性_一。若依_二說一切有部_一。同法喩中。有_二能立成不過󠄁《返り点:一》。 幻化之事雖_三我許無_レ成_二同法喩_一。然彼不_レ許_二從緣生_一故。定 無法故等。《割書:云云》廣如_二彼疏三_一。廓法師因有_二隨一不成過󠄁《返り点:一》故。 彼師攝論疏第六卷云。從緣故因證_二宗非有_一。汝自所_レ許 非_二我所成_一。因不_二共許_一。有_二隨一過󠄁《返り点:一》等。《割書:云云》廣如_二彼說_一。顯意

現代語訳

## 右頁(112頁・一六) ### 上段 (前頁より続き) 「有法の一分」とは何か(という問いへの)答え。清弁の宗(立場)に約していえば、「有為」という有法の上に二つの義がある。一つは「有(存在する)」という義、二つは「無(存在しない)」という義である。今(護法の立場では)「有義」は許すが「無義」は許さない。ゆえに「一分」と名づける。何によってそれを知ることができるか。『広百論』第十巻「教誡弟子品」に、清弁の考えを述べていわく、「彼(清弁)はこのように説く。一つの法が一時に、無(存在しない)という義は真(勝義)となり、有(存在する)という義は俗(世俗)となる。義が差別(異なる)がゆえに、互いに相違(矛盾)しない等」と。(云云)これによって明らかに知られる。有為の上の「無義」(空の義)は(護法には)許されないがゆえに「一分」と名づけるのである。 問。もしそうであれば、今「有法一分の過失」と言う場合、それは自相の過失か、差別の過失か。 答。「有為」という言葉はすでに(立者・敵者に)極成(共通に認められる)である。今、「有為」の下の「無義(空の義)」を取って「一分不極成」とするのである。ゆえにこれは差別の過失であり、自相の過失ではない。何によってそれを知ることができるか。基(窺基)の『因明疏』中巻において、「能別(述語)ともに不極成の過失」を説き終えた後、「上来の三過失はすべて自相について説いた。もし三(種の)差別(の場合)であれば、また不極成がある。たとえば勝論師が『四大種は常住である』と立てる(場合の)ように、四大種の中で(勝論師の)意が許す(ところの)実摂(「実」という範疇に属する)という有法の差別を、他宗(仏教側)は許さない。すなわちこれを『所別(述語で限定される主語)の他不極成』と名づける」と(説く)に至り、さらに「この三過失を説き終えて」いわく、「彼の三種の差別不極成の中においても、また自・他・両俱・全分・一分の過失がある」と。この文の説に准じて、今「有法一分不極成」という場合、これはすなわち「有法の差別、他の一分不極成の過失」である。 問。「有為」という有法の下(にある)「無義(空の義)」と、「真性」を簡別(限定語)とすることとは、どのような差別(違い)があるのか。 答。別(限定)の義(意味)は同じである。すなわち(どちらも)不極成の「無義」を取って簡別とするのである。ゆえに彼(清弁)が挙げる「真性」という言葉もまた不極成である。 「喩において能立・所立がともに不成の過失がある」と言うことについては、『枢要』の下(巻)にいわく、「同喩の『幻のごとく』とは、俗諦に約していえば『幻のごとく』 --- ### 下段 有(存在)する(という義)が二つある。(すなわち)幻の実事(幻の基体)は縁生ではないから、能立(因の)不成(の過失がある)。幻に似た事(幻の似似物)については、この(清弁の)宗では空ではないから、所立(宗の)不成(の過失がある)。勝義諦に約すれば、彼(清弁・中観派)も此(護法・唯識派)も、一切の法について『空でも不空でもなく、縁生でも縁成でもない』とは言うことができない(という点で一致している)。どうして空の花等(虚空の花・不可能な事物)を喩とすることができるか。同喩にもまた俱不成の失(過失)があり、(これを)似比量(擬似的な推論)と名づける」と。 問。もし幻の実事(幻の基体)が縁生でないため能立(因)が不成であるとするならば、『広百論』第十(巻)の文はどのように会通(解決)すべきか。彼の論にいわく、「縁から生じた法にも二種がある。一つは遍計所執(妄想により執着したもの)、二つは依他起性(他のものに依存して生起したもの)。幻の実事(幻の基体)はすでに遍計所執(であるから)、どうして縁生でないことがあるか。もし縁生を許すとするならば、どうなるのか」と。(つまり)解釈していわく、「幻の実事(幻の基体)において、能立(因)が不成ということになるのか」と(問う)。 答。昉法師(文軌)いわく、「この難(問い)は当たらない。縁生の法が定実有(決定的に実在する)と執着するがゆえである。ゆえに『縁生』というのは(本来)遍計所執を言う(のではなく、遍計所執とは)所執でないものから縁によって生じる(こと)を言う(のである)」と。すなわち彼(昉法師)は契経の頌を引用していわく、「もし法が縁より生ずるならば、この法にはまったく(実)有がない。もし法にまったく(実)有がないならば、この法は縁生ではない」と。昉師の案(考察)にいわく、「『広百(論)』が引く契経の頌にいわく、『もし法が縁より生ずるならば、この法にはまったく(自)性がない。もし法にまったく(自)性がないならば、この法は縁起ではない』と。文は異なるところがあるが、義の意(趣旨)はすなわち同じである。ゆえに縁生の因は(遍計)所執には通じない」と。 問。幻に似た事(幻の似似物)は喩の所依(喩の基体)であり、幻の上の縁生の義を取って、空の義がはじめて喩の体(喩の本質)となる。それなのに今どうして「幻に似た事については、この(清弁の)宗では空ではないから所立が不成である」と言うのか。 答。『枢要』の意はこうである。もし幻に似た事を喩の所依とし、この幻の上の縁生・空の義を喩の体とするならば、すなわち「所立不成の過失」がある。それはなぜか。似事(幻の似似物)の幻の上の空の義は「虚仮(仮設の・見かけだけの)の空」である。所立の宗の上の空 --- ## 左頁(113頁・一七) ### 上段 の義は「空無(真に実体がない)の空」である。すでに二つの「空」の意味が異なるのに、どうして「虚仮の空」が「空無の空」を成立させることができるか。ゆえに所立不成の過失(がある)。 問。似事(幻の似似物)の幻の上の空の義は「虚仮の空」であるから(同喩として)宗を成立させない(という)。(しかし)「空無の空」については(以下のことが言えないか)。瓶の上の無常は「打破(物理的に破壊される)の無常」である。それなのにどうして声の上の「縁息(縁が尽きる)の無常」を成立させることができるのか。すでに「縁息の義」と「打破の義」とは別であるのに、「無常の義」が同じであるから同喩となることができる。(そうであれば)どうして「虚仮の義」と「空無の義」とは別であっても、「空の義」が同じであるから同喩となることが(できないと言えるのか、その)何が妨げ(となるの)か。 答。護法(論師)が「勝義における幻の体の空(性)」を許さないがゆえに、清弁の同喩には「他の所立不成の失(過失)」がある。この論証式は共比量(立者・敵者に共通した論証式)であるがゆえに(そうなる)。(その)意を顕(明らか)にすると、護法論師は勝義諦に約して、幻の体が空であるとも不空であるとも許さない。すでに勝義に約すれば、幻の体の上に「空・不空の義」がない(以上)、どうして所立の「空の宗(命題)」を成立させることができるか。ゆえに同喩の中に「他の所立不成の過失」がある。(これは)順憬師(チュンギョン師)が三蔵(玄奘)の唯識比量に対して、「決定相違(conclusively contradictory)」を説いて「真故極成色定離於眼識。自許初三摂眼識不摂故。猶如眼根」(真なるがゆえに(立・敵に)極成の色は定めて眼識を離れる。自らが許すところの初の三(摂)に摂められ眼識に摂められないがゆえに。眼根のごとし)と述べたようなものである。この論証式の同喩には「所立不成の過失」がある。大乗では眼根は定めて眼識を離れているのではない。根は因、識は果であって、定めてすなわち離れているのではないがゆえに。(その)意を顕(明らか)にすると、眼根と眼識との関係においては「不即不離(一体でも離れてもいない)の義」がある。どうしてこれをもって「一向に(眼識を)離れた(という)宗(命題)」を成立させることができるか。今このことも同様である。護法は勝義に約して、幻の体の上に「空・不空の義」があるのに(その空義の一方のみをもって)、どうしてこれをもって「一向(ひたすら)空の宗(命題)」を成立させることができるか(、できない)。ゆえに同喩の中に「他の所立不成の過失」がある。 問。『因明疏』中巻にいわく、「勝論師は『同異性』をもって声の性質とし、声論師(ヴァイシェーシカ論師ではなく文法家)は本来有の声をもって声の性質とする。両宗(の理解)は異なるが、ともに『声の性』があり、可聞(聞くことができる)でかつ常住(常在する)だから総じて --- ### 下段 同喩となる。(これを)分別(区別)すべきではない。なぜなら声の性(質)については、無常を立て所作性因をもって瓶を同品▢(喩)とする場合のように、分別すべき(ことがあるとすれば)、何が所作(作られたもの)で、何が無常(なもの)か(ということになる)。もし縄や轆轤による所作(の無常)ならば、打破(物理的破壊)の無常(であり)、無常の(義は)声(の喩例)には無く瓶(の喩例)にある。もし尋伺(言語的思惟)による所作・縁息(縁が尽きる)の無常(ならば)、声(の喩例)に有り瓶(の喩例)に無い。もしそうであれば、一切において因(理由)と喩(喩例)がなくなってしまう。ゆえに知られる、因と喩の法(特性)は、すべて分別(区別)すべきではない等」と。(云云)今このことも同様である。清弁は「勝義の空をもって幻の体とし」、護法は「勝義の非空非不空をもって幻の体とする」。両宗(の理解)は別であるが、ともに「幻の体の縁生かつ等空(ともに空)」と説く。どうして分別(区別)すべきか。幻がもし空であるか、もし不空であるかとはどういうことか。 それに対して今いう。護法は「勝義における幻の体の空」を許さないがゆえに、同喩に「他の所立不成の過失」がある。 答。(これは)「悪い同喩の上の空・不空の義」を簡別(する語)に依拠して(の判断であり)、(立場の違いは)明確に顕然(はっきり)としている(のであって)、空・不空の義を(恣意的に)分別(区別)するのではない。ゆえに妨げはない。残りの二過失は、(これに)准じて思えば知ることができる。 **二**、側(測)法師(道邑)の説。もし(この論証式が)勝義中の勝義(について)の説による(共比量)とするならば、▢(一文字不鮮明)「相符極成の過失」がある。我(唯識派)もまた(幻の空を勝義に約して)許すがゆえに。もし世俗に(対する)勝義(の観点)による(独比量)とすれば、すなわち「聖教相違の過失」がある。花厳・深密等の経が、みな彼の依他起性・円成実性の(二性の)有(実在)を説くがゆえに。もし説一切有部に依れば、同法喩の中に「能立不成の過失」がある。幻化の事(を)は我(唯識派)は(縁生であることを)許すが(不成の)同法喩とはならない。(なぜなら)彼(有部)は「縁より生ずる(こと)」を許さないがゆえに、(また有部には)定めて(そのような)法(の理解)がないがゆえに等と(言う)。(云云)詳しくは彼の疏の三(巻のとおり)である。 廓法師(は)因(理由)に「随一不成の過失」があると(する)。彼の師の『摂論疏』第六巻にいわく、「縁からゆえという因(理由)は宗(命題)の非有(空)を証明するものだが、汝(清弁)自らが許すところ、我(護法)の所生(私が生んだ説)ではない。因は共許(立者・敵者ともに認められること)ではない。随一の過失がある等」と。(云云)詳しくは彼の説のとおりである。(その)意を顕すと、