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コレクション: 松平文庫

温古集 五巻 - 翻刻

温古集 五巻 - ページ 16

ページ: 16

翻刻

【右丁上段】 ふ呼救の哀聲(あいせい)のみ修羅(しゆら)の巷(ちまた)とかねて聞く地獄(ぢごく)の呵責(かしやく)もこ れには過(す)ぎじと當日は探訪者もおほへす悚然(しやうぜん)肌膚粟(きふぞく)を生 じたりと云へり ○竹ヶ鼻鵜匠町親【観】音町新屋敷北部(一番町二番町) 下町 城之端は町屋 造(つく)りの多(おゝ)く家々(いへ〳〵)大概(たいがい)は二 階(かい)のあるをもてか の老人子供又たは小道具(こどうぐ)など二階へあげれば置(お)きあげの 面倒(めんどう)を爲さゞるもまづ手廻(てま)はしに爲るの便利(べんり)あれど艸屋(くづや) 葺(ぶ)き無二楷(むにかい)なる《振り仮名:竹ヶ鼻|たけがはな》邊(へん)「家々に至りては二階と伝へる 避水所(ひすいじよ)も無く大抵(たいてい)床上二尺位と豫算(よさん)せし畳 目算(もくさん)も忽(たち)まち 外(はづ)れ置(お)き上げの枠共(わくども)疂(たゝみ)建具(たてぐ)の水に浸(ひた)りて押(お)し流され殆(ほと)ん ど増(ま)し水は破風(はふ)に及(およ)ばんとする勢(いきほ)ひ爲るにぞ根(こん)かぎり精(せい) 一杯(いつぱい)屋根を破(や)ぶり顔(かほ)を出し救(たす)けてくれと呼(よ)ばわるも船數(ふねかづ) の少(すくな)くてそんなに急(いそ)かる可きにあらされは暫(しばら)く待たれよ まだ其許(そこもと)は屋根は没(かく)れぬそれそこの家は既(すで)に屋根を没(かく)し たれは人死のありしと推(すゐ)さると流れ横ぎりて警官(けいくわん)の馳(は)せ 附(つ)けらるゝなど被害(ひがい)第一等は福井 市街(しがい)にても恐(おそ)らくはこ の部分(ぶぶん)に過(す)ぐるものはあらざる可しとの事なり ○足羽川堤防和田中村の切所 かくこの回福井を泥海(どろうみ)に 爲したる源(みなもと)即ち和田中村の堤防(ていぼう)切所(きれしよ)はかの實(じつ)六十間も あり水勢(すいせい)滔々(とう〳〵)として白沫(はくまつ)を散(さん)しかの音(おと)に名高(なだか)き米國のナ 【右丁下段】 イヤガラの大瀑布(だいばくふ)も是(これ)には過(す)ぎじとおもはるゝ思ひにて すさましなんと云(いふ)ばかり無(な)く昨日も猶(な)ほ勢(いきほ)ひ込(こ)んで馳(は)せ 込(こ)むを俵(たわら)又たは莚(むしろ)もて郷人足(ごうにんそく)百五六拾人が寄(よ)り集(あつま)りて防(ぼう) 禦(ぎよ)修繕(しうぜん)に取(と)りかゝれと今(いま)すこし人足(にんそく)を増(ま)したらんにはそ の効(かう)速(すみや)かなる可(べ)しと或人(あるひと)が云ひしが尤(もつと)もこの切所(きれしよ)を防(ふせ)ぐ に随分(ずいぶん)とも一 時(じ)は力(ちから)を盡(つく)したるものと見(み)へ靑疂(あほたゝみ)とおもへ るか若干(そこばく)切所(きれしよ)の傍(かたわら)に水(みづ)を防(ふせ)いて積(つ)み並(なら)べりと遥(はる)かに南(なん) 岸(がん)より望(のぞ)みしものゝ話(はな)したり ○郡衙 かくのごとく親(した)しく目覩せし被害(ひがい)の惨狀(さんじやう)はなか 〳〵筆紙の能く盡(つく)し得可きところにあらざるが流石(さすが)は郡 長德山繁樹氏には去る一日足羽川 滿水(まんすい)橋南 各所(かくしよ)溢水(いつすい)の危(き) 嶮(けん)ありと見るより(午後七時頃)自家の浸水(しんすい)はもとより問 ふに遑(いとま)あらず書記三人を連(つ)れて三大橋の落架(らくか)豫防(よぼう)に注意(ちうゐ) あり終夜 不眠(ねむらず)二日橋北北東部一 面(めん)水海(みづうみ)と爲りしよりは警 察署と相應(あいおう)じて萬事に注意(ちうゐ)し被難者(ひなんしや)救助(きうじよ)の方法(はう〳〵)ならび燒(たき) 出米(だしまい)等(とう)かす〳〵指揮(しき)し僅(わづ)かに昨朝 始(はじ)めて一 度(ど)自宅(じたく)へ歸(かへ)ら れしと云ふその鞅掌(わふしやう)鳴謝(めいしや)に堪(た)へず 【左丁上段】 ○又た 又た當郡役所よりは足羽郡に関(くわん)する足羽川筋 へ書記三名を派遣(はけん)しその實地(じつち)を巡撿(じゆんけん)せしめられしと云ふ 將(は)た洪水(こうずい)の盛(さかん)んに毒意(どくゐ)を逞(たくまし)ふする真最中(まつさいちう)より當郡役所 にて燒出(たきだ)しに爲りし白米は凡そ数十俵の多(おゝ)きに及び隈(くま)な く配(く)ばられしをもて親類(しんるゐ)縁者(ゑんじや)も水の中に埋(うま)り居(ゐ)て救(すく)ふに 道(みち)なく竈(かまど)は没(ぼつ)して蛙(かわず)を生じ前夜 饞餘(さんよ)の飯櫃(めしひつ)は流(なが)して仕舞 ひ饑(うへ)に泣(な)ける被難者(ひなんしや)へも三度とも團飯(にぎりめし)に有(あ)り附(つ)くを得能 く性命(せいめい)を繋(つな)きたりと云ふ ○嗚呼 嗚呼(あゝ)泥水(でいすい)海裏(かいり)に在(あ)りてはその情(じやう)こゝに至(いた)るは怒(ど) 然(ぜん)に堪(た)へずといへどもこれはとうしても無理(むり)なり一昨日 退(ひ)き潮(しほ)の立(た)ち當市街(たうしがい)家々(いへ〳〵)はそろ〳〵掃除(そうじ)にかゝると云ふ 順序(じゆんじよ)に運(はこ)びたるも一葦(いつゐ)の堤防(ていぼう)を隔(へだ)たて四ッ居村の方(かた)は泥(どろ) 海(うみ)依然(いぜん)たゞ其 水勢(すいせい)と上水(うはみづ)を減(げん)せし迄にてざんぶり田畑(たはた)も 家居(いへゐ)も水裏(すいり)にあるに堪(た)へずやありけんこゝに濫(かん)して無理(むり) にも中島の堤防(ていぼう)を切断(せつだん)して己(おの)か苦艱(くげん)を減(げん)せんとせしをこ れと見(み)るより竹ヶ鼻等この堤防(ていぼう)の西部(にしぶ)市内(しない)の方(かた)にては大 に驚(おどろ)き早太鼓(はやたいこ)を鳴(な)らして急(きう)を報(つ)け警察署へも注進(ちうしん)したる に前日の浸水(しんすい)に凝(こ)りたる市内(しない)の人心(じんしん)なればそれ切(き)らすな 防(ふせ)げと忽(たちま)ち人山を築(つ)きて殆(ほと)んど爭論(そうろん)にも爲(な)らんとせしと き恰(あたか)も好(よ)し警官の出張(しゆつてう)ありしに流石(さすが)の四ッ居村民も手を 出だすことの出來(でき)す空(むな)しく舟(ふね)を返(か)へしたる由(よし) 【左丁下段】 ○魚市の相塲 當市(とうし)魚市(うおいち)の相塲(そうば)は昨日 鯛(たい)十 貫目(くわんめ)に付十一 圓五十錢 鮑(あわひ)一箇小五六錢より大二十五錢までにて鰻(うなぎ)一尾 大拾錢より四十錢 位(ぐらゐ)にて洪水(こうずい)以來(ゝらい)魚が澤山(たくさん)出でたるより 烏賊(いか)なとは十杯に付壹錢五厘より二錢位なりと云へり 【飾り罫線】      縣下水難事件 ○四役塲の救濟 這回(こかひ)當市(とうし)浸水(しんすゐ)の爲(た)め今日の糊口(こゝう)に差支(さしつか) へる家數(いへかづ)は夥(おびたゞ)しきことの由(よし)なるが則(すなわ)ち一昨日より四 役(やく) 塲(ば)の戸長 用掛(やうがゝり)には町々 殘(のこ)る隈(くま)なく實査(じつさ)爲し尋常(じんじやう)床上 浸(ひた) した位(くらひ)はさて置(お)き疂(たゝみ)を濡(ぬ)らし夜具(やぐ)家財(かざい)を流(な)かしいかにも 困難(こんなん)骨(ほね)に入(ゐ)りし家(いへ)のみを記(き)し壹人につき白米三合 宛(づゝ)二十 日ばかり錢になほして濟施(さいせ)せらる可(べ)き筈(はづ)にとりかゝられ しと云(ゐ)ふ他役塲(たやくば)は詳(つ[ま]ひらか)にせぬが浪花町(なにはてう)役塲(やくば)(西北部)管内(くわんない) 二千四百戸中三百戸ばかりはこの濟施(さいせ)の數(かず)に入れらる可 しときく ○水害避難所 前説 附録(ふろく)に水害(すいがい)避難所(ひなんしよ)を橋南(きやうなん)孝顕寺(こうけんじ)と記 るせしを同寺にては施餓鬼會(せがきゑ)があるとかにて差當(さしあた)り謝斷(しやだん) されたるより石塲(いしば)畑方(はたがた)の人民は元横屋小路の眞淨寺(しんじやうじ)へ二 百名同町 德行寺(とくぎやうじ)へ百五十名元 神宮寺町邊(じんぐうじてうへん)は元西念小路(もとさいねんこうじ)の 善福寺(ぜんふくじ)へ百二十名 相生町(あひおひてう)の瑞應寺(ずいおうじ)へ五十名同町の淨願(じやうぐわん) 寺(じ)へ七十名 毛矢町邊(けやてうへん)は元二十三 軒町(けんてう)の教重寺(きやうじうじ)へ百名余り