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コレクション: 松平文庫

温古集 五巻 - 翻刻

温古集 五巻 - ページ 18

ページ: 18

翻刻

【右丁上段】 しが稍(やう〳〵)手(て)のあきし頃(ころ)鶏(にわとり)は犬(いぬ)はと驚(おどろ)きて尋(たづ)ぬれども早(はや) 遠(とを)く流(なが)されて鶏(にわとり)は大半(たいはん)以上(いじやう)失(うしな)ひしもあり悉皆(しつかい)失(うしな)ひし もあり横町(よこてう)の大谷(おうたに)神明(しんめい)前(まへ)の水谷(みずのや)兩氏(りやうし)のごときは二十 餘羽(よは) 宛(づゝ)失(うしな)ひたるよし市中(しちう)を擧(あ)げては莫大(ばくだい)の數(かづ)ならんと云(い)ゝ 犬(いぬ)は飼犬(かいゝぬ)さへ失(うしな)ふ程(ほど)なれば野犬(やけん)の如(ごと)きは凡(すべ)て水を避(さ)くる ことの出來(でき)ず爲に浸水(しんすい)部分(ぶゝん)の犬は一 掃(そう)したるの姿(すがた)なりとか ○是れは果して流れしか 是(こ)れも同じく材木 漂流(へうりう)の話(はなし)に て武生幸町の山田玉藏と云へる丹生郡末の谷郷黒田七郎 右衛門に材木百八十一本(代價(だいか)百五十六圓)の運漕(うんそう)を爲し 日野川より福井へとおくらせしに廿九日までに幸橋(さゐわひばし)へ着 したれども卅日一日の增水(ぞうすゐ)に前同斷流して仕舞(しま)ひしとは 七郎右衛門の言葉(ことば)にて玉藏はいやとよ廿八日の晩(ばん)親(した)しく 幸橋に着したるを見しに十五本しかなかりしければ悉皆(しつかい) 揃(そろ)ひしを流(な)がせしとは不審(いぶかし)と是は委托者(たのみたもの)と受托者(たのまれたもの)との間 に談判中なりと云ふどちらが本統にや ○人家漂流 當市三ッ橋口に堺村と云へる小村(しやうそん)ありかの 村端(むらはづ)れに離(はな)れて建(た)ちし二軒(にけん)の村家(そんか)は市街(しがい)より押(お)しきりて 流(なが)るゝ激波(げきは)の衝(しやう)にあたりしものと見(み)へ去る二日午後を俟(ま) たず二 軒(けん)とも碎(くだ)けて漂流(へうりう)せしと云ふしかし人命(じんめい)には別段(べつだん) 恙(つゝが)なし 【右丁下段】 ○苗代(なわしろ)を搬運(うしうん)す 半夏生(はんげしやう)僅(わづ)か過(す)ぎの今日なりしをもてこ たびの水損(すいそん)は夥(おびたゞ)しとは云ふものゝまだ吉田郡 松岡在(まつをかざい)は 半夏生(はんげしやう)を期(き)として植附(うへつ)ける晩稻(おくて)なるともてこれへ馳(は)せ附(つ) け足羽郡 江端邊(えはたへん)以南(ゐなん)の村々より苗代(なはしろ)を買(かほ)ひに向(むか)ひ昨一昨 日なとは夥(おびたゞ)しく農夫(のうふ)が苗代(なはしろ)を檐(にな)ふて當市を通行(つうこう)するを 見(み)たり ○阪井港浸水の景況 去月三十日より本月二日にいたる 三日 間(かん)は終日(しうじつ)終夜(しうや)降(ふ)りしきりしかも猛烈(まうれつ)なる風(かぜ)さへ加(くわ)は り諸川(しよせん)は漸々(しだい)次々( 〳〵 )に澎漲(ほうちやう)し考古家(かうこか)の説(せつ)に據(よ)れば二十年以(い) 來(らい)未曾有(みぞう)の大洪水(たいこうすい)なりと云へりまづ當港(とうこう)にて浸水(しんすい)の箇所(かしよ) は岩崎町(いわさきてう)櫻谷町(さくらだにまち)及(およ)び平木町(ひらきてい)の内(うち)元木塲(もときば)泥原(どろはら)新保浦(しんぽうら)へ船(ふね)に て渡(わた)る渡船塲邊(とせんばへん)卽(すなは)ち電信分局(でんしんぶんきよく)の前(まへ)なれども當港 市街通(しがいとほり)街 西側(にしがわ)川方(かわかた)なる各商家(かくしやうか)裏手(うらて)に立列(たちつら)なりたる土藏(どぞう)は過半(くわはん)浸水(しんすい) と爲(な)り爲(た)めに各土藏(どぞう)の内(うち)へ納(い)れ置(お)きたる米穀(べいこく)商品(しやうひん)貨物(くわぶつ)を 始(はじ)め殘(のこ)らず水入(みづいり)に爲(な)るとて終日(しうじつ)終夜(しうや)右 防禦(ぼうぎよ)の人足(にんそく)雇人(やとひと)及(およ) び消防(せうぼう)夫等大 勢(せい)詰(つ)め駈(か)けるやら又た上 西町(にしてう)より汐見町(しほみてう)へ 架(か)したる港橋(みなとばし)が浮(う)き上(あ)がるとて橋上へ若干(そこはく)の半切(はんぎり)を積(つ)み 警部(けいぶ)巡査(じゆんさ)も非常(ひじやう)の繁忙(はんぼう)にて消防夫(せうぼうふ)數十人と共に高張提燈(たかはりてうちん) を點(とも)し不寐番(ねずばん)をせらるゝやう恰(あたか)も火事塲(くわじば)の如(こと)くなりしを 猶(な)ほ詳況(しやうけう)はおひ〳〵報道(はうだう)す可しと同港よりの通信(つうしん)なり 【左丁上段】 ○窮骨に入る 當市中(ふくゐぢう)溢水(みづ)の害(がい)を蒙(かうむ)りし中(うち)にも尤(もつと)も甚(はなはだ) しきは前號(せんこう)にも記(しる)せしことく東部(とうぶ)なる元中島餌指町(もとなかしまえさしまち)観音(くわんおん) 町(まち)お旗町(はたまち)竹(たけ)ヶ鼻(はな)新屋敷(しんやしき)一 番町(ばんてう)城(じやう)の橋(はし)小道具町(ことうぐてう)東光寺(とうかうじ)等(とう)の 各町(かくてう)にして寝耳(ねみゝ)に水(みづ)不意(ふゐ)の事故(ことゆへ)勝手(かつて)道具(どうぐ)は云(い)ふも更(さら)なり 戸(と)障子(せうじ)雨戸(あまど)小長持(こながもち)澤庵桶(たくわんおけ)等(とう)は凡(すべ)て流失(りうしつ)し衣類(いるい)は通常(つうじやう)の物(もの) を除(のぞ)く外(ほか)上下(かみしも)白無垢(しろむく)に至(いた)るまで殘(のこ)らず泥水(でいすい)の浸(ひた)すところ となり過半(くわはん)すたれ物(もの)となりたる程(ほど)の惨状(さんじやう)なれば歎聲(たんせい)益々(ます〳〵) 市街(しがい)に囂々(がう〳〵)するも先(ま)づ中等(ちうとう)以上(いじやう)は如何(どふ)なり斯(こ)ふなり其日(そのひ) を送(おく)るも余(よ)の細民(さいみん)に至(いた)りては常(つね)さへならぬ其中(そのなか)へかてゝ 加(くわ)へて溢水(みづ)に勝手(かつて)道具(どうぐ)は押(お)し流(なが)され業(わざ)をするにも便(たよ)り無(な) く饑餓(きが)亘(たん)【旦】夕(せき)に迫(せま)り人(ひと)の軒塲(のきば)に立(た)ちてなと少(すこ)しは餓(うゑ)を凌(しの)か んと親子(おやこ)共々(とも〴〵)袖乞(そでこひ)に出(い)づる者(もの)も數多(かづおほ)く目(め)もあてられぬ次(し) 第(だい)にて歎(たん)ずるにも猶(な)ほあまりあり ○一生を万死に得たり 當市(ふくい)元新屋敷(もとしんやしき)五番町(ごばんてう)の韮塚某(にらつかそれ)は 旅行中(りよこうちう)なれば留主(るす)には今年(ことし)七十路(なゝそぢ)の阪(さか)を越(こ)へし老母(らうぼ)一人(ひとり) 住居(すみゐ)の由(よし)なるが洪水(こうすい)の際(さい)は僅(わづか)に三尺余(さんしやくあま)りの囊棚(ふくろだな)へ漸々(やう〳〵)這(は) ひあがり出水(みづ)を避(さ)くるうち已(すで)に一命(いのち)危(あやう)きところを警官(けいくわん)の 爲(た)めに幸(さわい)ひ一命(いのち)は助(たす)かりたれども諸道具(しよだうぐ)其他(そのた)は先(ま)づ大畧(あらまし) 流失(りうしつ)せしとのこと 【左丁下段】 ○家屋の拾物 當市(とうし)毛矢町(けやてう)の西尾(にしお)初藏(はつぞう)と云(い)へるは元 観音(くわんおん) 町(まち)に貸家(かしや)一 棟(むね)を所持(しよじ)せるがこの程(ほど)の大水(たいすい)に同所(どうしよ)は水難(すいなん)の 津(つ)なれば見廻(みま)はらんと退潮(ひきしほ)のたつを待(ま)ち我(わが)貸家(かしや)のあると ころに至(いた)るにこわいかに基礎(ぢばん)だけを殘(のこ)して建物(たてもの)はその姿(すがた) だに無(な)しこれはと驚(おどろ)き近所(きんじよ)の人(ひと)に尋(たづ)ぬるにあまりの急水(きうすい) にて我(わが)家財(かざい)すら忘(わ)するゝ周章(しうしやう)どうなりしか氣(き)も附(つ)かざり しが大方(おゝかた)流(なが)れて仕舞(しま)ふたのだろうと聞(きい)てがつかり初藏(はつぞう)は 猶(な)ほその町端(まちすじ)を尋(たづ)ね廻(ま)はれり話(はなし)かわりて元(もと)永平寺町(えいへいじまち)の田(た) 島(じま)音平(おとへい)が洪水(こうすい)の日(ひ)同町元 酒井邸(さかゐてい)の前(まへ)にて浮(う)きつ沈(しづ)みつ小(ちひ) さき貸家風(かしやふう)の建物(たてもの)の流(なが)れ來(く)るを惜(お)しきものなりとていろ 〳〵工夫(くふう)し拾(ひろ)ひあげしかすぐ警察署(けいさつしよ)へ届(とゞ)け置(お)き拾主(ひろひぬし)の顯(あら) はるゝを待(ま)ちたりしに初藏(はつぞう)とこでか聞(き)き附(つ)けて貰(もら)ひに向(むか) ひしより二人 伴(ともな)ふて警察署(けいさつしよ)へ出頭(しゆつとう)し授受(じゆじゆ)の手續(てつゞき)を濟(すま)せし とは大(たい)した拾(ひろ)ひ物(もの) ○火祭の具水に浸す 昨日(きのふ)稍(やゝ)十二 時(じ)とも覺(お)ぼしき頃(ころ)當市(ふくい) 城(じやう)の橋(はし)を通(とほ)りかゝると老(おひ)も若(わか)きも下婢(げじよ)も下男(げなん)も手(て)に手(て)に 手桶(ておけ)を携(たづさ)へて東奔西馳(やつさもつさ)と騒(さわ)ぐものから何事(なにごと)ならんと窺(うかが)へ ば今回(こたび)の出水(みづ)にみな我家(わがや)々々( 〳〵 )を守(まも)る爲(た)め誰一人(だれひとり)も氣付(きつ)か ざりし嘗(かつ)て新(あらた)に建築(けんちく)せし一月 火祭(ひまつ)りに立(た)てる太鼓小屋(たいこごや)の 藏(くら)に溢水(みづ)が入(い)りて泥塗(どろまみ)れに爲(な)りて居(ゐ)るときくよりサア大(たい)