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コレクション: 松平文庫

温古集 五巻 - 翻刻

温古集 五巻 - ページ 19

ページ: 19

翻刻

【右丁上段】 變(へん)と町内中(てうないぢう)が一 丁(てう)或(ある)は二丁 外(ほか)より井戸(ゐど)の水(みづ)を汲(く)み例(れい)の太(たい) 鼓小屋(こごや)の藏(くら)を洗(あら)ふやら器物(やうき)を乾(ほ)すやら一 方(かた)ならぬ混雜(こんざつ)を 爲(な)せしとは是(こ)れも溢水(みづ)の餘災(よさい)なり ○猿猴失兒を哀む これは去る一日の夜(よ)の事(こと)なり足羽郡(あすはこふり) 江端福村(えばたふくむら)など水害(すいがい)に懸念(けねん)ある村々(むら〳〵)はいづれも浸水(しんすゐ)の用意(やうゐ) にとりかゝり堤防(ていばう)豫防(よばう)の外(ほか)誰(た)れ一人も家より外(そと)へ出(で)るも の無く世間(せけん)ひつそと靜(しづ)まりつ聞(きこ)ふるものは暴風(ばうふう)の樹枝(じゆし)を 吹(ふ)き紙(かみ)窓(まど)を撲(う)つと滔々(とう〳〵)たる激流(げきりう)の田面(たのも)を浸(ひ)たす響(ひゞ)きのみ なりしかるに福村(ふくむら)の田(た)の沖(おき)に當(あ)たり膓(はらわた)を斷(た)つおもひし て叫(さけ)び哀(かな)しむ聲(こゑ)の風波(ふうは)の響(ひゞ)きに連(つ)れて聞(きこ)ふるは必定(ひつでう)人(ひと)の 水(みづ)に溺(おぼ)れて苦(くるし)むならん救(たす)けられぬまでもどうとか工夫(くふう)を 爲(し)てやらんと云(ゐ)ひ合(あ)わさねとも福村(ふくむら)の家々(いへ〳〵)にては聲(こゑ)をし るべきいづれもその側(ほとり)までは近附(ちかつ)きたるもなか〳〵奔波(ほんぱ) 《振り仮名:□|□□□□》ふして進(すゝ)むを得(ゑ)すさるにても婦人(おんな)か男子(おとこ)か誰(た)れ人な □と熟視(じゆくし)すれば人にはあらぬ大猿(おゝざる)にてその兒(こ)とおぼしき 小猿(こざる)が十 間(けん)あまり先(さ)きに流(な)がるゝを救(たす)けんとしても水聲(すいせい) の速(はや)くして及(およ)びきれず山(やま)に在(あ)りて樹(き)を攀(こぢ)る手際(てぎわ)はなかゝ ゝ河獺(かはうそ)にあらね水(みづ)には出(い)でず頻(しき)りに之(こ)れを指(ゆび)さして人々(ひと〴〵) の方(はう)を向(む)き救(たす)けてやりてと拜(おが)むさまのいかにも不愍(ふびん)なる 【は焼野(やけの)の雉(きゞす)夜(よる)の鶴(つる)子(こ)を思(をも)ふ情(なさ)けは人畜(にんちく)□(かわ)りなしと□(なみだ)を□(□□) 一行不鮮明につき推測】 【右丁下段】 め救(たす)けてやらんと棹(さほ)なといだしたれども届(とど)くべきにもあ らずその中(うち)小猿(こざる)は水に沈(しづ)みて終(つひ)に空(むなし)く爲(な)りたるを見(み)るよ り大猿(おゝざる)狂氣(けうき)のことくあせりにあせりこれも何處(いづれ)へか姿(すがた)を 失(うしな)ひたるに人々(ひと〴〵)も是(こ)れまでなりと家路(いへぢ)に入(ゐ)りて再(ふた)たび浸(しん) 水(すゐ)の用意(やうゐ)にとりかゝれりと是(これ)は同村(どうそん)の親(した)しく見(み)た人(ひと)の實(はな) 話(し)なり ○船橋の流失 勝山(かつやま)街道(かいどう)九頭龍川(くづりやうがわ)に架(か)せる小舟戸(こぶねと)の舟橋(ふなばし) の船(ふね)數(かず)二十六 艘(そう)をもて組立(くみた)てしものなるが這回(こんど)の洪水(こうずい)に てその内(うち)十二 艘(そう)を殘(のこ)し他(た)は激波(げきは)怒濤(どとう)の中(うち)にその姿(すがた)を失(うしな)ひ たりと云(ゐ)へり又(ま)た同街(とうがい)に沿(そ)■勝山在(かつやまざい)光明寺村(こうめうじむら)なともその 田面(たのも)も浸(ひた)されし分(ぶん)は大石小石を瀉(そゝ)きしをもて四五年は舊(もと) に復(ふく)せぬとか ○福井港水門沖合の暴風激浪 去る二日越前三大川とも 非常(ひじやう)の漲水(ちやうすい)にてかの水門(みなと)へ流(なが)れ込(こ)む水勢(すいせい)のすさましきは 言語(げんご)の名狀(めうじやう)すべきにあらざるが沖合(おきあひ)の波浪(はろう)また甚(はなはだ)しく 忽(たちま)ち深谷(しんこく)に陥(おちい)り忽(たちま)ち大山(たいざん)を浮(うか)めかの怒濤(どとう)して岩礁(がんせう)に打附(うちつ) ける大潮(だいてう)はいかなる鐵艦(てつかん)も碎(くだ)けざらめやとおもわるゝ折(おり) 柄(から)檣(ほばしら)折(お)れ楫(かぢ)碎(くだ)け九死一生(きうしいつしやう)の有樣(ありさま)にて日本形(にほんかた)千貮百石よ り五百石までの廻漕船(くわいそうせん)八 艘(さう)が漂(たゞよ)ひ來(きた)り逆巻(さかま)く波浪(はろう)の中(なか)へ 見(み)る〳〵覆沒(ふくぼつ)し憐(あわれ)む可(べ)し滿舩(まんせん)の穀物(こくもつ)貨物(くわもつ)はすべて海底(かいてい)の 【□□(もくず) 以下一行見えず】 【左丁上段】 上陸(じやうりく)せしも怪我人(けがにん)は多少(たしやう)ありたる趣(おもむき)なり則(すなは)ち八 艘(そう)のう ち三 艘(そう)は阪井郡 米(こめ)ヶ(が)脇浦(わきうら)刀根其(とねそれ)同浦(それどうゝら)小問屋其(ことひやそれ)泥原新保浦(どろはらしんぽうゝら) 紙谷某(かみやそれ)の所有船(しよいうせん)にて他(た)の五 艘(そう)は他州(たしう)の廻船(くわいせん)なりときけり 陸上(りくじやう)の災難(さいなん)のみならず又(ま)た海上(かいじやう)の災難(さいなん)あるかくのごとし 何(なん)と云(い)ひてよからふやら旣(すで)に長歎(ちやうたん)に遠(とお)く幾歩(いくほ)を超(こ)へたり と謂(い)ふ可(べ)し ○大野郡勝山在の水況 九頭龍川(くづりやうがわ)の源(みなもと)は一に大野郡に在(あ) りて山々(やま〳〵)より出(いづ)る谷川(たにがわ)の數流(すりう)合(がつ)し勝山(かつやま)近傍(きんぼう)に至(いた)りて一 大(だい) 河(か)を爲(な)すものなるが霖雨(りんう)日(ひ)を經(わ)たり若(もし)くは强雨(ごうう)盆(ぼん)を傾(かたむけ) るがこときに逢(あ)へば忽(たちま)ち怒激(どげき)して奔流(ほんりう)巖石(がんせき)を嚙(か)み岡(おか)を碎(くだ) き谷(たに)を沒(ぼつ)することさして珍(めづ)らしとせざるなりその一 枝源(しげん) なる南山中東谷 鄕(ごう)なる上打波(かみうちなみ)の深山(しんざん)より落(お)ち來(きた)る溪流(けいりう)は 東西 勝原(かどはら)唯野(ゆいの)土打(つちうち)富島(とみしま)等(とう)諸村(しよそん)を經(へ)猶(な)ほ平泉寺谷(へいせんじたに)その他(た)大 野郡 諸山(しよざん)の溪水(けいすい)すべて之(これ)に合(がつ)し勝山にいたりたひ〳〵九 頭龍川を形るものにして則(すなは)ち去る一日二日の洪水(こうすい)にはこ の溪流(けいりう)尤(もつと)も甚(はなはだ)しく澎漲(ぼうちやう)し上下 打波(うちなみ)の諸谷(しよたに)に伐(き)りて積(つ)み 上(あ)げたる大材木(だいざいもく)はその幾許(いくばく)なるや數(かず)知(し)らぬ程(ほど)も奔波(ほんぱ)に巻(ま) かれて勝山(かつやま)をして押流(おしなが)し東西(とうざい)勝原(かどはら)のことき兩村(りやうそん)にて人家 七十戸ばかりあるがすべて床上(しやう〴〵)に激流(げきりう)を浸(ひた)しその内の二 【左丁下段】 戸は諸道具(しよどうぐ)を合(あわ)せ家居(いへい)盡(こと〴〵)く破碎(はさい)して押(お)し流(なが)されしは實(じつ)に すざまじき勢(いきほひ)なりと云(い)ふこの激流(げきりう)の積(つも)り〳〵て遙(はる)か下(か) 流(りう)恰(あたか)も勝山(かつやま)市街(しがい)の東南(とうなん)に當(あた)れる畔川(あぜかわ)上下 高島(たかしま)の諸村(しよそん)の堤(てい) 防(ばう)十丁ほとを潰決(くわいけつ)しこの邊(へん)一 時(じ)荒海(こうかい)を爲(な)し餘波(よは)勝山(かつやま)市街(しがい) に及(およ)び後町(うしろまち)川方(かはかた)の方(はう)は浸水(しんすい)床上(しやう〴〵)に尺餘(しやくよ)なりしとぞ概(がい)して 土地(とち)の高(たか)きが爲(た)め掃洒(はわくち)の早(はや)く水量(みづかさ)はさして高(たか)からぬも水(すい) 聲(せい)荒(あら)く又(ま)た大岩石(たいがんせき)ならび礫砂(れきさ)を激流(げきりう)の持來(もちきた)るが爲(た)め一 度(ど) 浸(ひた)されし跡(あと)はかの平時(へいぢ)に復(ふく)するは決(けつ)して福井 近傍(きんばう)の譯(わけ)に はゆかねと云(い)へりしかし打波邊(うちなみへん)より押流(おしなが)したる材木(ざいもく)は大(だい) 抵(てい)それ〳〵拾(ひろ)ひあげたりとはまだしも不幸中(ふこうちう)の幸(こう)と云(い)は ざるを得(ゑ)す ○大野郡大野在の水況 大野(おゝの)と勝山(かつやま)との距離(きより)は僅々(わづか)三 里(り) にしてその諸川(しよせん)は源を大野 部(ぶ)に發(はつ)するも多(おゝ)くは勝山(かつやま)へ灌(そゝ) ぐるものなれば分説(ぶんせつ)するは贅(ぜい)に属(ぞく)するがことしといへと もその尤(もつと)も大野(おゝの)に近(ちか)き部分(ぶゞん)にて去(さ)る一日二日兩日の洪水(こうすい) に害(がい)を及(およ)ぼしたるものを肥(こゑ)せば眞名川(まながわ)寶慶寺川等(ほうきやうじがわとう)の俄(にわか)に 暴漲(ぼうちやう)せしをもて御山鄕(おやまごう)富田鄕等(とみだこうとう)沿岸(ゑんがん)の村々(むら〳〵)すなわち稻鄕(たうこう) 据(しがらみ)友兼等(ともかねなと)の田面(たのも)又(ま)たは住地(じうち)を浸(ひた)したれとも大野(おゝの)市街(しがい)は さらに水難(すいなん)に關係(くわんけい)なしたゞ東在(とうざい)のみ右(みぎ)のごとしとの事(こと)な り