翻刻
【右頁上段】
行くこと暫らく直に吉富村に入る本村(ほんそん)は大小十餘の字を以て成
り八木町を少しく隔(へだゝ)りたる所より園部に続く頗る大水にして沿
岸の各字は皆浸水の害を被り水量(すゐりやう)床上二三尺に及びしが就中(なかんつく)鳥
羽、室川原の両字最も惨害(ざんがい)を極めたり鳥羽は実に大堰川(おほゐかは)と園部
川会合の近傍(きんばう)にして室川原もまた其近くにあり同地(どうち)の被害は未
だ詳知(しやうち)し難きも流失家屋は船井郡 全体(ぜんたい)十九戸の内八を占め倒家
又四にして其多くは此 両字(りやうあざ)にありとされど全体に就て云へば
二字の一部を除(のぞ)く外(ほか)は八木より多少浸水の浅(あさ)かりしにや床上に
造(つく)られたる一段高き処には家財(かざい)を乗せたるまゝの家多かりし然
れども各戸 床板(ゆかいた)を取り除け且つ米、麦、黍、籾及び其他ありとあ
らゆる物品(ぶつぴん)を道路に乾(かは)かしつゝある光景は寧ろ八木よりも哀(あは)れ
を止めたり
浸水家屋は総て百七十五戸にして一時は炊出(たきだ)しを以て救急(きう〳〵)せし
も今は其 施輿(せよ)を受くるものなしとずこゝに哀れを止めしは同村
字弘垣内の松本源之助が母イカ(五十八)にぞある源之助は夫婦二人
の子供及母と五人暮らしなるが出水の当日 危険(きけん)の虞あるに付き
子供二人は他の安全(あんぜん)なる家に預け母妻と共に家財等を取片付(とりかたつ)け
居たるに裏手(うらて)なる大堰川の堤防决潰して家は倒れ夫婦(ふうふ)は僅かに
身を以て免れしも一人の親は押されて即死(そくし)したりと其他 歩行(ほかう)も
覚束(おぼつか)なげなる老翁媼のヨロめきながら乾物(ほしもの)を運べる頑是なき子
女の漬物(つけもの)一片のお菜なくして庭の片隅(かたすみ)なる俵の上に坐し勢ひな
げに夕餐(ゆうさん)をなしつゝあるさては若嫁らしき人の濡れたる屏風(びやうぶ)を
恨めし気に運(はこ)び居るなど哀れは中々に書き盡くされじ只一寸可
笑しく感ぜしは吉富村の内八木島の河中(かはなか)にて阿房待ちと称する
方法(はうはふ)に依り漁魚をなせしものありし一事なり人々眼の舞はん
ほど忙し気なる中にさりとは名詮自称(せうぜんじゝやう)にあらざるか
午後六時半園部に着、慈賀屋に投(とう)ず食後直ちに近傍(きんぼう)を視察した
【右頁下段】
りしが何分川を渡ること能はざれば想ふ様に調(しら)べられず僅か
園部町を調査(てうさ)せしのみ同町は前記二村に比しては多少(たせう)土地も
高く且つ人々の最も决潰(けつくわい)を懸念して必死となり防禦(ばうきよ)せし園部川
の新堤防幸に决潰を免れたれば只字宮町及本町の幾分(いくぶん)を除く
の外は悉く多少の浸水(しんすゐ)ありしも皆床下に止まり床上に及(およ)びしは
新町及若松町の一部のみなりしと従て町役場(てうやくば)の炊出(たきだ)しも一時此
二ヶ所に向(むかつ)てなせしのみ被害は極めて尠少なりし模様(もやう)なり尚ほ
船井全部の被害に
付今日まで判明(はんめい)せしものを挙ぐれば左の如し
床上浸水家屋《割書:有住 五一五|無住一〇》 床下浸水家屋《割書:二七五| ー》
流失家屋《割書:有住一三|無住 -》全潰家屋《割書:一九|ー》半潰《割書:七|ー》破損《割書:二〇|ー》蔵流失一
堤防浸水《割書:箇所一二|間数五〇〇》半潰《割書:一|五〇》全潰《割書:二〇|一〇〇》
此外死人一、死馬六、橋梁流失十ヶ所百八十間、山岳崩壊六ヶ所三十間あり五ヶ
荘村四ッ谷の製糸場も倒れたりと云へど確報に接せず、田畑浸水未詳
九月二日午前四時二十分 園部(そのべ)を発す夜来同宿(やらいどうしく)せし本部書記官、有
吉船井郡長、京都赤十字社支部書記山中秀蔵氏及朝日新聞社若
松翠竹等 同行(どうかう)す
観音峠は霧(きり)に閉(とぢ)られて漸く淡(うす)き光を漏らす月影(つきかげ)に照らされ夜の
内に越へ終り須地(すち)に入りしが此辺(このへん)はさして甚しかりしとも見へ
ず低地(ていち)の屋根には二三尺許 浸水(しんすゐ)の跡を止むるものなきにあらず
と雖も之れさへも餘(あま)り多からぬ模様(もやう)なり然れども橋梁(けうれう)は大抵流
失し僅(わづ)かに丸木橋を以て人を通ずるもの多く道路また皆洗(みなあら)はれ
て砂石の露出暫次(ろしゅつぜんじ)甚しきを加へたり而して本郡中最も困難なり
しは天田との郡界谿流(ぐんかいけいりう)に架せる巌洞橋の墜落(つゐらく)したる跡なりき幸
に郡長(ぐんてう)の同行ありしかば氏の尽力(じんりよく)に依り土人の助けを得て無事(ぶじ)
渡るを得たり
かくて天田郡に入るに先づ眼(め)に触(ふ)れしは莵原村広谷神社に周囲(しうゐ)
一丈餘もあらんと思はるゝ大木(たいぼく)の苦もなく根こそぎにせられ其他
【左頁上段】
の樹木(じゆもく)も折れ若くは倒(たふ)れたるもの頗る多く家屋(かをく)の家根また剥取(もぎと)
られたるもの中々多く道路(だうろ)の陥落、橋梁(けうれう)の流失漸々多きを加へ
十七 間橋(かんばし)の如きは僅かに四間を餘して尽く流失し腕車(わんしや)は漸くに
渡りしも渡川(とせん)に馴れざりる我々は到底渡(たうていわた)るを得ず漸く屈強なる土
人の背(せ)に依りて渡りしに十四 間橋流失(かんばしりうしつ)して行くべからずと云ふ
即ち止むなく小徑(せうけい)を迂廻(うくわい)し徒歩すると十八丁 細見村(ほそみむら)に出づ之よ
りは幸に道路(どうろ)に障害なく且つ河辺(かへん)は多少被害の跡ありしも全体
はさして甚しからず安全に行程を貪(むさぼ)り下六人部村長田より江戸(えど)
ヶ坂(ざか)を下り雀部村字土師 (はぜといふ)に至り一行は此関門(このかんもん)に先
づ膽を破(やぶ)られたり浸水(しんすゐ)は家として軒以上に達せざりしものなく
汚泥にまぶれたる家具家財(かぐかざい)を半濁水に洗ひては乾(かは)かす状態(ありさま)、老
幼男女 皆泥(みなどろ)を被りて奔り歩く光景(かうけい)、只惨と云ふの外ぞなきサレ
ど兵庫縣氷上郡より流れ来れる土師川に架せる土師橋を渡り曽
我村字蛇ヶ鼻に入るに及びて尚ほ多きを見たり土師には倒潰若
しくは流失の家屋を見ざりしもこゝには流(なが)れて僅に破瓦(はぐわら)の一片
を止むるもの尠少(せう〳〵)ならず更らに一 歩(ほ)を進めて福知山町(ふくちやまゝち)に入るに
及んで予の未だ曾(かつ)て見ざる所の悲絶凄絶(ひぜつせいぜつ」)なる惨況は眼前に現出
せり
道路(だうろ)の伝説は随分惨況(ずいぶんさんけう)を報じたりしもよも斯くまでとは思はざ
りしに足(あし)一 度(たび)其地を踏むに及んで其案外(そのあんがい)甚しきに驚(おど)ろきたるの
みならず此混雑の中、此狼藉(このらうぜき)たる間に入り何処(いづこ)よりてを付如何
にして報道(はうどう)すべきやを思ひ茫然自失之を久ふす然れども既(すで)に其
境に入る非常の勇気(ゆうき)と勉強を以てせば焉んぞ幾多(いくた)の困難を除却(ぢよきやく)
し責任を盡す能はざらんやと悟(さと)りては即ち勇気百倍勇往敢進漸
く郡役所に達す時に正午前
書記官等(しよきくわんら)は郡役所に入り翠竹(すゐちく)は後れ予は先づ山口俊一氏を訪(と)ふ
氏の家 亦害(またがい)を被ふり家族皆屋上に上り僅(わず)かに免るゝを得たりと
【左頁下段】
然れども氏は家を顧(かへりみ)ず翠漸く減ずるや日夜公事に奔走(ほんそう)し家に在
らず予の訪(と)ひしときも家族(かぞく)のみなりき此処に状況の一班を聞き
得、尚ほ手近(てぢか)き二三ヶ所を実見(じつけん)し郡役所に至りしに楼上(らうぜう)には書
記官、柳島天田郡長、山口俊一氏其他 郡吏等(ぐんりら)数名あり就て当時
の状況(ぜうけう)を叩き且つは町民奔馳(てうみんほんち)の惨況を望見したり
抑も今回(こんかい)の被害たるや距今三十 年前(ねんぜん)即ち土入の害の年の洪水(こうずゐ)と
て相伝ふる大洪水(だいこうずゐ)よりも一層甚しかりし由にて而も多少被害(たせうひがい)の
状況異なるものあり堤防决潰(ていばうけつくわい)の場所は蛇ヶ鼻口五十間、広小路
口二十 間(けん)の二ヶ所にして蛇ヶ鼻は旧城(きうじう)と京口の間に破(やぶ)れ広小路
は福知橋 (旧称永寿橋(きうけうえいじゆはし))の処に潰れたり蛇(じや)ヶ鼻(はな)は六十年前一回决(けつ)
潰(くわい)したれども当時の城主之之を修繕(しうぜん)し中には後人の真似得(まね江)ざるが
如き注意(ちうゐ)を用ひ粘力(ねんりよく)最も強き粘土を入れ頗る堅固(けんご)なるものなり
しが今回の洪水は苦もなく之を破りしこそ不思議(ふしぎ)なれ之が原因(げんゐん)
に付きては種々説(しゆ〴〵せつ)をなすものあれども先づ其重(そのおも)なる原因は第(だい)一
広小路(ひろこぢ)より対岸庵我村字猪崎に渡る福知橋(ふくちばし)のもと仮橋なりしが
近年交通 頻繁(ひんぱん)となりしを以て大なる本橋となせしこと、第(がい)二曾
我井村字蛇ヶ鼻の堀(ほり)をば築上(つきあ)げて家屋を建造(けんぞう)したること、第
三 米穀取引所(べいこくとりひきじよ)倉庫建築の際堤裏の土砂(どしや)を採取せしこと、第(だい)四上
渡船に香良の別荘(べつそう)を建つるため大なる石垣(いしがき)を築きしこと、第五
福知、土師の二川 合流(がふりう)の衛に当りしことなりと而して第四は福
知川の流注(りうちう)に障害を輿へ第二は堀(ほり)の湛水(たんすい)を妨げたるものにして
此五種の勢力合(せいりよくがつ)してこゝに决潰を来したるのみならず従来(じうらい)の决
潰は何処(いづこ)とも内部にも水の湛(たゝ)へて後なるに今回は頗(すこぶ)る急劇の増
水にて只片面のみより浸水(しんすゐ)せしかば前面に竹藪(たけやぶ)ありて多少障碍
たるにも拘はらず其勢実に凄(すさ)まじくスワ决潰と云ふ間もなく先
づ米穀取引所及 附近(ふきん)の家を流し水勢(すゐぜい)の向ふ処一も支ふるものな
く聯隊區司令部(れんたいくしれいぶ)、収税署、町役場、高等小学校をも流(なが)して書類