翻刻
【右頁上段】
く所謂水火の責苦(せめく)は之れなるべしと後にて近傍(きんぼう)の人に語りき
一婦あり逃れて路傍(ろぼう)の柱に登り右手に上部の栓(せん)を持ち左手柱を
抱き両足(りやうそく)また柱を挟み切に救助を呼ぶ折柄(おりがら)後方より流れ来る家
屋のために首以下を壓(あつ)せられ惨死遂げたり後に之を引放(ひきはな)さん
とするも女の一念強く柱を抱きて容易(やうゐ)に離れざりしと
有馬某氏の家は蛇ヶ鼻决潰の当時(たうじ)押し流されて家族十餘人藁屋
根に乗りたるまゝ福知山の後方(こうはう)を廻り由良川に出で一里餘流さ
れ人々生きたる心地(こゝち)もせざりしは庵我村字安井に於て福知橋(ふくちばし)の
流(なが)れかゝりたるものにかゝり漁夫(ぎよふ)の助を得不思議の命拾ひた
りと
宇内記の浸水するや流失家屋廿餘戸 死人(しにん)また四十餘人あり中に
最も哀(あは)れなりしは母子(おやこ)五人相抱きて家屋に壓せられ眼玉飛び出
し腸出でゝ死したるさま眼もあてられぬ光景(ありさま)なりしと
広小路の决潰するや堤上(ていじやう)なりし瓢亭流れて女主及二人の幼児は
溺死せしが三日 死体(したい)を発見せし際には母の足の辺に二人の幼児
相抱(あひいだき)て死し居たりと
劇場常盤館の流失するや豫て大なる建物(たてもの)なれば危険の虞なしと
思ひ集り来るもの七十餘名、されど濁水(だくすゐ)は無遠慮に之をも流し
て潰(つぶ)したればは中なる人々は一時に悲鳴(ひめい)を遂げ後方桑園中の汚泥
に埋もれたるを後日に至り発見(はつけん)したりと
森直紀は園部區裁判所和束出張所詰の書記(しよき)たり二弟あり俊良、
準輔と云ふ準輔(じゆんすけ)は尋常小学校の教師にして俊良(しゆんれう)また米穀取引所
の所員(しよゐん)なりしとかや三人別戸して皆 世帯(しよたい)を持ちしに事体の啻な
らざるを見るや兄弟三人皆同胞を気遣(きづか)ひて家を出でたるに途中
蛇ヶ鼻の决潰に出逢(であ)ひ三人とも惨死を遂げ特(とく)に不思議なるは準
輔の死体(したい)自己受持の教場の下にありしとされば三家 同時(どうじ)に寡婦(くわふ)
となり家は全きを得たれど悲歎(ひたん)の状眼もあてられぬ光景なり
【右頁下段】
と(已に前に出づ参照すべし)
斯る中にも壮快(さうくわい)なる一話あり聯隊區司令部の浸水するや当直(たうちやく)の
下士鈴木某氏外一名は当夜(たうや)の責任(せきにん)我々にありとて尽く他を去ら
しめ二人とも屋上に上り十五年の詔勅を頭に載き棟瓦(むねかはら)に馬乗り
してありしが蛇ヶ鼻の决潰して家屋の将に破壊(はくわゐ)せんとするや拍
手して両陛下(りやうへいか)の万歳を三唱して家屋の破壊と共に水中(すゐちう)に抜手を
切て二人とも無事助(ぶじたす)かりしと
三丹運送馬車會社の馬匹(ばひつ)八疋は厩を出すに隙(ひま)あらず盡く溺死せ
しが何分 大軀(おほがら)のものにもあり運搬人夫の少なきため三日午後ま
で死体をそのまゝになし置きしに多量(たりやう)の濁水を吞みたることゝ
て腐敗(ふはい)に傾き皮膚も処々 破(やぶ)れて臭気云はん方なく中々 顔向(かほむけ)もな
らぬ光景(くわうけい)なりし
死体未だ片付かざる当時は汚泥(をでい)を蒙りたる死体累々として広小
路近傍 桑園(さうえん)の中にあり被ひたる小袖(こそで)一枚取除くれば四五の死体
ありしが是等は兎に角 片付(かたづ)きしも一里餘も下流なる下皮口村字
天津には夥多(あまた)の家屋漂着し棟の認めらるゝもの五十三あり木材
家具等も亦頗る多き中に臭気(しうき)鼻を衝くものあり又由良川筋の沿(江ん)
岸(がん)には死体の漂着(へうちやく)したるものありと見へて烏(からす)などの頻りに其
辺を飛び廻りて何やらん啄(つい)ばむお見たり
◯福知山の水害(すゐがい) 丹波福知山の土師川堤防崩壊の為め流失家屋
百五十一戸、潰家(つぶれや)二百戸、死者二百三十名、負傷者(ふしやうしや)百餘名に上り
家屋の害(がい)を被らざるものとては一戸も之れ無きの有様(ありさま)なり左れ
ば本部書記官は広沢保安課長、清水衛生課長外数名を随hて出
張し官民(くわんみん)力を協せて救助に尽力(じんりよく)し赤十字社京都支部に於ても医
員二名を派して負傷者を治療中(ぢりやうちう)なり又同地に亜(つ)ぎて水害の甚だ
敷は丹波の綾部にして流失家屋数十戸、死者(しゝや)三十二名なり其他
丹波にては園部、亀岡地方共大堰川堤防破壊の為め被害 尠(すくな)から
【左頁上段】
ずといふ丹後は舞鶴(まいづる)に於て流失家屋四十八戸、死者二十五名を
生じ宮津、峯山等の地方(ちはう)も被害尠からずといへば其 復舊(ふくきう)即堤防
道路の修繕(しゆうぜん)に要する費額(ひがく)は数十万円に上るべし
船井郡園部町 にては一昨日午後十時頃に至り園部川 溢水(いつすゐ)し見
る〳〵内に人家(じんか)を浸し又川上より追々橋梁人家 巨材(きよざい)等の流れ来
るものありしかば警鐘をを打鳴(うちなら)し消防夫を集め危険の箇所(かしよ)を保護
し町長初め役場吏員は各所(かきしよ)に奔走し警官と力を併せて夫々防禦(ばうぎよ)
に怠(おこた)りなかりしも何分僅々一時間の内に来りし急遽の災害なれ
ば如何ともする能はず終に園部大橋及常盤橋千歳橋園栄橋新町
橋の五橋を落し近部落(きんぶらく)に通ずる横田橋黒田橋船板橋等 悉皆(しつかい)落ち
堤塘の决壊 枚挙(まいきよ)するに遑あらず近来稀れなる大洪水にて一時は
老幼(らうえう)を高処に移す抔大混雑を極めたり
船井郡北部の水害 同郡東北部の惨状(ざんじやう)を報ぜんに東北部世木村
五ヶ庄村の両郷(りやうがう)は一面北桑田郡周山奥より弓削谷(ゆがだに)を経て来る河
線と北桑田郡 貫郷(つらがう)より佐々江を来るものと海老阪嶺肱谷山脈よ
り起(おこ)り来(きた)るものと三大河線を字四ッ谷及殿田に会(くわい)し殊に急流な
る一大河となる所なり八月三十日の夜は晝間(ちうかん)曇天なりしも左し
て天候 険悪(けんあく)となるべき模様もなく各村皆 枕(まくら)を高うし寝床に入り
たるに午後十一時半の頃に至り南北風(なんぼくふう)の起るや強雨篠をつく如
く降り来り忽ち谷々は溢 水(すゐ)し土砂を流失すること莫大(ばくだい)なる為め村
々 人夫(にんふ)を集(あつ)め男子は総出にて防禦せしが何分水嵩増来りセ木村
にて宇殿田及天岩等先づ浸水 床上(ゆかうへ)に及び五ヶ庄村にて字(あざ)四ッ谷
海老谷佐々江の三 部落(ぶらく)亦浸水床上に及び家屋流失破潰の惨状(ざんじやう)を
呈(てい)するに依り老幼は山林(さんりん)に避けさしめたり右二郷は部落数十ヶ
村ありて一村の内と云へども五渓六谷に跨(また)がり居り互(たがひ)に救はん
とするも達(たつ)せず而して山嶺の鳴動(めいどう)甚しきにより麓のものは山崩
れを恐(おそ)れ翌日午前四時に至る迄人々生きたる心地(こゝち)なかりき幸に
【左頁下段】
して鶏鳴(けいめい)の頃に及び風雨漸く止み始て蘇生(そせい)の心地せりと元来同
村は山林の収得(しうとく)を以て生活の資に充て糧米(りやうまい)は皆他方より仰ぎ山
稼を以て生活(せいくわつ)する所なるに如斯大害にて山林に積み置きし木材
板炭は一も跡を止めず流失(りうしつ)し北桑田郡より来る物貨(ぶつくわ)を運送して
稼業(かけう)するものあれども之も海老坂峠道大破損の為め稼を得ず殊
に細民多き場所なるに糧食(りやうしよく)を購入せんとすれども其資なく資を
有するも贖ふの途なく実に福知山(ふくちやま)にも次くべき惨害を受け字 天(てん)
若(じやく)の如きは全村の半以上最早 耕地(かうち)となるべき見込(みこみ)立たずと云
船井郡の水害(すゐがい) 同郡中最も被害(ひがい)の甚だしかりしは東部(とうぶ)にて富本
吉富、八木、北部にて川辺、世木、西部にて上下和知(かみしもわち)の七ヶ村にて
八木全村は家屋(かをく)に浸水すること五尺 乃至(ないし)十尺に及び幸ひに何れも
流失(りうしつ)を免れしかと馬(うま)六頭死し人民は二 階又(かいまた)は屋根に登り漸(やうや)く一
命を免れたり出水の際 押寄(おしよ)せ来りし泥土は目下床上(もくかせう〴〵)に一尺以上
堆積(たいせき)しあり又同地は山陰街道(さんいんかいどう)の一駅なる故当日宿泊の旅客数十
名あり是等は皆夜中(みなやちう)一時頃に発足し山路(さんろ)に分け入り迂回(うくわい)して園
部亀岡に避難(ひなん)せし由次は富本村にて同村西北(どうそんせいほく)の堤塘二百間以
上 破壊(はくわい)し一時大堰川と三俣川の二川より同村字西田に浸水(しんすゐ)し人
家床上三尺を浸(した)し其餘勢南桑田郡馬路村を襲(おそ)ひたり吉富村は園
部川と大堰川(おほゐかは)の出合なる故 是亦人家(これまたじんか)床上五尺以上浸水し同村(どうそん)字
雀部の堤塘百五十間を破壊(はくわい)し下流広垣内神田の二部落に浸水し
家屋(かをく)十三を流し道路(だうろ)の破壊数ヶ所に及び人畜(じんちく)の死傷少なからず
同村は字八木島を除き悉皆浸水(しつかいしんすい)せりと云ふ川辺村は各字共 浸水(しんすゐ)
し流失家屋(りうしつかをく)三、人畜の死傷ありし趣きにて堤塘(ていとう)の破壊等吉富村
に譲らず世木村は床上浸水(せうじやうしんすゐ)以上に及び工場倒壊し家屋二戸流失
し人畜死傷(じんちくしせう)は詳かならず其他船の流失(りうしつ)せしもの数十艘 橋梁(けうれう)は悉
皆流失したり上下両和知村は未だ詳細(せうさい)を知るを得ざれど上和知
村の概況(がいけう)を記すれば同村にある舞鶴街道中(まいづるだうちう)字桝谷橋は常に水面