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【右頁上段】
亦 不通(ふつう)に帰したり
被害の惣数 (七月廿六日長野県知事発)
只今 迄(まで)分りたる被害 総数(そうすう)左の如し
死傷 一百0九
家屋流失 三百四十二
破壊 二百二十三
浸水 一万四千七百八十八
道路破壊 二万五千六百十間
橋梁流落 五百十四
堤防破壊 一万八千九百八十二間
土地流失 二千七百四十五町歩
浸水 一万二百三十九町歩
其後左の詳報(しやうほう)を得たり
七月二十一日 長野県下(ながのけんか)に於ける各大川の暴溢(ぼういつ)は前代稀有の惨事
といへり千曲川、犀川、木曽川、天竜川を首(はじ)め爾餘(じよ)の諸川共に満
水量は一 丈餘(じやうよ)乃至二丈 餘(よ)に及び沿岸(えんがん)に位する町村は孰れも惨害
を被らさるは無(な)かりき中(なか)にも被害の最(もつ)とも甚はだかりしを犀
川、奈良井川、薄女川、鳥羽川等の合流点(がうりうてん)なる松本町附近及び犀
川沿岸の南北(なんぼく)安曇郡と為(な)し次(つぎ)を犀川沿岸なる上水内郡水内村附
近、次(つぎ)を千曲川、犀川 合流(がうりう)一 帯(たい)の地なる更級、埴科、上高井上
水内 等(とう)四郡の平坦地(へいたんち)とし次を上下高井郡に跨(またが)れる平坦地の延徳
平、次を下水内郡(しもみずうちごほり)飯山町、常盤村(ときわむら)下高井郡木島平附近とし次(つぎ)を
千曲川 沿岸(えんがん)なる小県郡 上田(うへだ)町附近、次を南佐久郡(みなみさくごほり)野沢村、臼田
町近傍、次を諏訪郡(すはごほり)諏訪湖附近、次を天竜川(てんりうがは)の沿岸なる上伊那
郡伊那村、下伊奈(しもゐな)郡、次を木曽川(きそがは)沿岸の西筑摩郡福島町、日義
村宮の越駅 近傍等(きんぼうとう)の各地とす今其(いまそ)の状況の概要(がいえう)を左に掲ぐ
松本町附近 県下(けんか)第一の惨害(ざんがい)を被りたる松本町(まつもとちやう)は二十一日に於
【右頁下段】
て町の東方(とうはう)り流れ来(きた)る女鳥羽川暴溢して浅間橋以下は左右の
石提孰れも数(すう)百 間(けん)づゝ一時に决潰(けつくわい)し此より注ぎ入るゝ濁水は流
れて同町の大字(おほあざ)北深志一円を浸(ひた)し尚ほ其の下流(かりう)に於て左右の堤
防は夥(おび)だしく破壊せられ附近(ふきん)の田畑は一面に湖海(みづうみ)となれり之と
同時に町(まち)の南方に於て田川(たがは)、牛伏川等と合(がつ)して犀川に入る薄川
は博労町東裏に於て先づ石提(せきてい)八十 餘(よ)間の决潰を来(きた)し引続き字総
作場の石提も亦(また)五十餘間の决潰口(かつくわいくち)を生じ為めに南深志一円に浸
水し其(そ)の水勢(すいせい)頗ぶる激烈(げきれつ)なりしを以て澪筋に当(あた)りし処は南北深
志共に家屋(かをく)の流失せるもの多(おほ)く随て人畜(じんちく)の死傷も亦(また)少なからず
同時に御幸橋、常盤橋(ときわばし)、横田橋、浅間橋、千歳橋、新橋等悉く破(は)
碎(さい)流失せざるは無(な)く住家を流(なが)され家族を失(うしな)ひたる罹災民は船に
救はれて泣(な)く〳〵難を高地(かうち)の寺院、官衛に避(さ)くる等(とう)其の悲惨言
ふべからず越(こ)江て二十三四日の頃(ころ)に至(いた)り漸(やう)やくにして浸水の減
却せるに遭(あ)ひ流失を免(まぬ)かれし家屋内には皆(みな)床上数尺の泥土を置
かれざるは無(な)く毎戸 孰(いつ)れも家人 総掛(そうかゝ)りにて其の泥土(でうど)を屋外に排
出したれば一 時(じ)は各街の道路上(どうろじやう)に泥土の丘(をか)を築き軒下を傳ふに
あらざれば通行(つうかう)も出来(でき)ざりしといへり
而して又 水源(すゐげん)を乗鞍嶽に発(はつ)し松本町の北方(ほくはう)に於て犀川に合流す
る梓川は満水量(まんすいれう)一丈二尺餘に及び波多村(はたむら)、藤の宮、佐合、新村堰
口、四平花見等の処(ところ)に於て石提の决潰(けつくわい)、破損せる箇所其の数を
知らず随て水(みづ)は沿岸の村落(そんらく)、田畑を衝(つ)きて流るれば其の水勢の
烈しかりし所(ところ)に在(あつ)ては家を流し人を殺し田畑をして荒廃に帰せ
しめしも少(すくな)からず此の他田川(たたがは)、奈良井川、鎖川等の沿岸(江んがん)に於け
る町村の惨害(さんがい)孰れか甲乙を知(し)らず
犀川筋及び千曲川犀川の合流点 犀川の下流(かりう)及び其の千曲川と
合流するの地点(ちてん)に於て被害の状況(じやうきやう)亦甚はだ惨を極(きは)む此地点
は埴科更科、上高井(かみたかゐ)、上水内等の数(すう)ヶ郡に亘(わた)り平坦地最とも多
【左頁挿絵の中に】
松本水害古屋河岸惨状之図
信州丹波嶋