翻刻
ヽ右丁】
《割書:この時信綱のたちところにとりおこなひし事ことにみな其所を得てほど|なく其外またしづかにおさまりてむかしにかはらぬ御代となるかゝる事|ともはみないにしへの名臣賢佐にもはちぬ善政にてありけりそれも執政の|人々の衆議一決してこそかくはありけめともそしる事もほむる事も》
《割書:信綱一人のはかりしやうに世にいひし事は|是しかしなから名誉のいたす所なり》嫡子甲斐守輝綱とし
十九歳父にしたかつて島原にをもむく信綱をもへる
所あつて堅く制しけれは軍には出す《割書:城をちんとせし|時輝綱一騎》
《割書:馬を馳て城にむかふ親父信綱大きにいかり岩上角左衛門某といふ郎等|しておしとゝめしむ岩上馳つきて馬のまへに立ふさかりけり伊豆守殿|将軍家の御代官としてむかはせたまひしによつて諸軍と功をあらそふ|へからすと御手のものたに堅く制したまふ所なりまして息男の御身|としてかくぬけかけして先をあらそひたまはん事有へからすととゞめ|申せとの御使に参りむかつて候と馬の頭を引かへす輝綱きゝもいれず馬|をはせ出さんとせし処に岩上冑ぬきすてかうへさし出し某か首の|候はんほとは軍したまはん事叶ふへからすすみやかに首をはねられ|て後に御心にまかせらるへしといひてつゐに馬の頭引かへし一むちあてて|みかたの陣にをひかへす輝綱つねにうらみて輝綱か軍の高名なかりしは》
【左丁】
《割書:岩上か所為なりさりなから主人をいさめ|とゝめんにはかくこそあらめと感せし也》其後御詰衆の列にめし加へられ
父卒して家をつき寛文十一年十二月十二日とし五十二歳
にて卒す《割書:此人天性弓矢の道を嗜て凡武芸の事こと〳〵に長し|家の子郎等にも常にすゝめ学はす飼にかふたる》
《割書:馬とも多く廏に引立庫にみち〳〵たり弓箭兵仗こと〳〵くにその制精し|からぬはなしされば世に鎧冑より初て馬物具に至りて甲斐殿やう|とて武士の手本とする事いかゝして戦の場にのそめるといふはかり|にて一度の高名もなく人にかくもてはやされしも たゝならね》
其嫡子伊豆守信輝つく