翻刻
【右丁】
尾張国智多郡英比郷小河村の地頭職になさる《割書:大永元年|八月に卒》
《割書:すといふ父を又三郎といひて|天禄年中在鎌倉と云々》これより世々このところの地頭
にて《割書:雅経か子下野二郎雅継その子下野守胤雅 弘安のころ|その子下野九郎入道某 元享のころの人なり》
又二郎某か時 観応の頃足利殿に厲ひ奉りしかは
御教書を給て 其功を賞せらる《割書:又二郎は九郎入道か|子也又下野守といふ》それか
子孫《割書:此間五六代の伝|しれすといふ》蔵人貞守か時に同国水野といふ所に移
住しかは改て水野と名のる 右衛門大夫忠政は其貞守か曾
孫也《割書:貞守か子名字ともに知れす戒名宝幢賢勝と云|その子下野守某戒名一初全体といひし也》忠政の時に至
三河国刈屋の城をあわせ我身刈屋城にあつて嫡子下野
守信元して小河の城を守らす天文十年忠政の娘を
【左丁】
岡崎殿へ参らせらる《割書:贈大納言廣忠|卿の御事》明る十一年十二月廿六日
徳川殿をもうけ給ひ十二年七月十二日忠政卒し給ひ
嫡子信元其家を継て駿河の国今川殿に中たかふて
尾張の織田備後守信秀に 心を通せらる 岡崎殿無二
の今川の方人にて信元のふるまひやすからすとて忽に
北の方を送り返させ給けりかゝりしかは両家快からす
岡崎殿うせ給ひ徳川殿御成人の後に至り御外舅なれ
と下野殿との合戦やむ時なし和泉守忠重は《割書:此時は|藤十郎》信元
の舎弟也といへり兄弟の中常に不快にして鷲塚といふ
所に引籠ゐ給ひしか永禄六年の冬一向専修の門徒等