翻刻
【右丁】
数参らせて徳川殿の御軍以の外 大事に及ふと聞て
水野太郎作村越又一郎を引くしはせ参り手をくだき
戦ひ給ふ事度々に及ふ《割書:此時忠重は石川新十郎をうち|太郎作は大見藤六郎をうつ》これよりし
て常に徳川殿にしたかひ軍のさきをかけ給はすといふ事
なく天正三年の冬信元うたれ給ひし後同八年九月廿三日
累代の地なれはとて刈屋の城をは織田殿より忠重に給る也
是しかしなから徳川殿の御外舅たるか故にかゝる恩付も
ありし也此後あるひは 信長の催促に随て軍ひきゐ或は
徳川殿の大将して合戦す 織田殿うせ給ひし年鳥居元忠
と共に甲斐の古国府に陣とつて北条か勢をうちやぶり
【左丁】
信雄秀吉中たかふて軍起りし時忠重父子北畠殿のため
に星崎の城を攻おとし小牧の陣にしたかつて長鍬【湫の誤ヵ】に戦ひ
蟹江の城をせむことし十月秀吉伊勢国に攻入と聞て
忠重只一勢よせ手の多勢に打向ひ水を阻(ヘタテ)て陣を張る
その勢にはゞかりて秀吉桑名に入事を得給はず其後
関白家に参りしに桑名にてのふるまい又年頃の武勇を
感し給ひ石川出雲守と同しく武者奉行をそ 給りける
《割書:忠重の関白家へ厲せし事いかなる故にや 石川出雲守と 云は伯耆守|か事也けれと一時に武者奉行を承るとあれは 伯耆守と 同く上方》
《割書:に参りし|なるべし》天正十五年七月晦日忠信の性賜て 叙爵す
《割書:此頃迄は総兵衛と申せし也 按するに家忠日記には徳川殿初て御上洛|の時忠重供奉し 叙爵して 姓給ふとありされとも家譜本文のごとし》